浅間山(あさまやま)とは
標高2,568mの浅間山は、長野県北佐久郡軽井沢町及び御代田町と群馬県吾妻郡嬬恋村にまたがる現在も活発に噴火を続ける三重式の成層火山です。
日本百名山にふさわしく夏山ばかりか冬山も楽しめます。冬山の一般的登山口は車坂峠です。トーミの頭への上りには、12本歯のアイゼンがあれば安心です。 トーミの頭から黒班山までは冬山登山入門コースとは言えるでしょう。
しかし、黒班山から先にはトレースが少なく、外輪山を縦走するにはピッケル・アイゼンは必携の経験者向けルートとなります。
- 1. 浅間山の登山規制
- 1.1. 浅間山の噴火口
- 1.1.1. 火山情報と登山規制
- 2. 浅間山の山容
- 2.1. 第1外輪山の黒斑山、牙山や剣ヶ峰
- 2.1.1. 約1万年1000年前の大爆発
- 2.2. 第2外輪山の前掛山
- 2.2.1. 約700年前の大噴火
- 3. 浅間山登山口の駐車場とアクセス
- 3.1. 高峰高原(車坂峠)登山口
- 3.2. 浅間山荘登山口
- 4. 浅間山の見どころ
- 5. 浅間山の地図
- 6. 浅間山の山小屋
- 7. 「アサマ」の名前の由来
- 8. 浅間山の登山コース概要
- 8.1. ① 浅間山-車坂峠から黒斑山コース
- 8.2. ② 浅間山-浅間山荘から前掛山コース
- 8.3. ③ 冬季浅間山-車坂峠から黒斑山コース
- 8.4. ④ 浅間山-石尊山コース
- 9. 浅間山の日帰り登山は出来る?
- 10. 浅間山の登山口近くの温泉
- 10.1. 天狗温泉 浅間山荘
- 11. 浅間山の天気の特徴
- 12. 各種情報
- 12.1.1. 浅間山登山ツアー
- 12.1.2. お問い合わせ
- 12.1.3. 登山届提出
- 12.1.4. 登山地図のスマホアプリ
- 13. 浅間山周辺の気温
- 14. 浅間山登山のための装備と服装
- 15. 服装や装備品のチェックリスト
- 16. 浅間山噴火の歴史
- 17. 1783年(天明3年)の「天明の浅間焼け」
- 17.1. 鎌原観音堂
- 17.1.1. 天明の浅間焼けで生死を分けた15段
- 17.2. 鎌原観音堂の石段の発掘調査
- 17.3. 鎌原村の復興
- 17.4. 延命寺跡
- 18. 天明の大飢饉
- 19. 石尊山と石尊信仰
- 19.1. 浅間神社
- 19.2. 自性院と石尊信仰
- 19.3. 真言宗智山派真楽寺
浅間山の登山規制
浅間山の噴火口
2023年8月時点、浅間山本峰へは噴火の危険があるため入山規制がなされ登ることは出来ません。
浅間山の噴火口の直径は約250m、火口底までの深さは約200mです。火口底の北東部分に窪みが確認出来ます。この日は僅かに噴煙が立ち上がりるのみで、火山活動が安定しています。
主な火山ガスは次の三つです。二酸化硫黄・硫化水素・二酸化炭素のすべてが人体に悪影響を与えます。風向きなどの気象条件によって滞留する場所が変化します。
特に、無風~弱い風の時が要注意で、窪地(賽の河原など)に滞留しやすく、 火山ガスを感じたら、手遅れになる前に濡れタオルで口を覆い、直ちに下山することが肝要です。
火山情報と登山規制
浅間山の山容
第1外輪山の黒斑山、牙山や剣ヶ峰
約1万年1000年前の大爆発
浅間山は、コニーデ式三重火山で、太古の昔から噴煙が絶えることのない日本を代表する火山です。単一の火山では無く、黒斑火山、仏岩火山、前掛火山の三つから構成されており、約1万年1000年前の大爆発により東側半分が吹き飛ばされ、300平方kmもの裾野を火山岩や火山灰で埋め尽くしました。
そして、カルデラの第1外輪山として残ったものが黒斑山・剣ヶ峰・牙山です。
第2外輪山の前掛山
約700年前の大噴火
第1外輪山形成後、噴火が続き、東に小浅間山と南に石尊山が寄生火山として形成され、約700年前の大噴火でカルデラ内に中央火口丘や第2外輪山として前掛山・東前掛山が出来ました。
噴火警戒レベルが最低の「1」になると前掛山の登山が可能となります。しかし、浅間山山頂の噴火口から約500mの位置にロープが張られ、浅間山の登山は立入禁止なっています。
噴火レベルが「2」(火口周辺規制)に引き上げられると、火口から2km以内への立ち入りが制限され、前掛山に登ることは出来なくなります。
前掛山まで登れる場合、そこから浅間山山頂を見ることができます。残念ながら原則、火口を覗き込むことはできません。
2023年8月時点、噴火の危険があるため入山規制が敷かれ前掛山へは登れません。
浅間山登山口の駐車場とアクセス
高峰高原(車坂峠)登山口
広い駐車場と公衆トイレが完備し、小諸駅(佐久平駅)から路線バス(1日2~4本)が 運行されています。
また、登山口近くの高峰高原ホテルや高峰温泉での日帰り入浴も魅力です。
浅間山荘登山口
小諸駅(佐久平駅)からの路線バスに乗り、浅間橋で下車し、車道を1時間20分ほど歩かなければ浅間山荘に着かないので、マイカーでのアクセスが便利でしょう。
浅間山荘の有料駐車場(1日500円)に車を停めることができます。また、浅間山荘の天狗温泉の赤茶色のお風呂に日帰り入浴できるので、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
アクセスの詳細は下記を参照してください。
浅間山の見どころ
トーミの頭から連なる第1外輪山(黒班山・蛇骨岳・仙人岳・鋸岳)の縦走。
第2外輪山の前掛山からの眺望や湯の平口周辺からのトーミの頭と槍ガ鞘の岩峰群の眺め。
浅間山の地図
浅間山の山小屋
「アサマ」の名前の由来
「アサマ」の語源は明確には分かっていませんが、「火の山」を意味する一般名詞だったようです。富士山にも浅間神社(せんげんじんじゃ)がありますが、古くは「アサマ」と言っていたようです。
九州の阿蘇山も同義ではないかと考えられています。恐怖を意味する「アソ」「オソ」が山名の語源になったようです。
浅間山の登山コース概要
① 浅間山-車坂峠から黒斑山コース
車坂峠の高峰高原ビジターセンターと高峰高原ホテルには大きな駐車場があり、高峰高原ホテルの裏には水洗式の公衆トイレが完備しています。高峰高原ホテルでは日帰り入浴施設があります。又、高峰高原アサマ2000スキー場方面へ1km ほど入った所に高峰温泉があり、展望露天風呂が薦めです。
長野新幹線佐久平駅から在来線の小諸駅を経由する高峰温泉行きバス(約1時間)が1日2~4往復運行されていますが、運行本数が少ないので、事前確認が必要です。そのためタクシーでのアクセスの方が便利です。 東京駅から早朝の長野新幹線に乗れば日帰り登山も可能です。
登山口となる車坂峠は、すでに標高2000メートル近くあり、南麓の佐久平の町並みはもとより、南アルプス、八ケ岳、北アルプス、富士山の雄大な展望が広がっています。
チェリーパークラインから数十メートル入った登山口で表コースと中コースが分岐しています。
表コースは途中で下りがあるためコースタイムが中コースに比べ多いのが難点ですが、展望が開ける場所が多く、登りに使うとよいでしょう。
一方、中コースは樹林帯の中にあるため展望は望めませんが、コースタイムが短いのが利点で、下りに使うとよいでしょう。
昭文社の登山地図には中コースと黒斑山(くろふやま)から蛇骨岳・仙人岳にかけての稜線に危険マークがありますが、全く危険ではないので安心して登山できます。
車坂峠登山口の分岐で右の表コースを進みます。車坂山まで登ると、展望は開け振り返ると、水ノ塔山から篭ノ登山(かごのとやま)、西篭ノ登山へと続く高峰高原がアサマ2000スキー場の奥に広がっているのが見えます。 途中に槍ガ鞘火山シェルターがあり、浅間山が活火山であることを実感させられます。
登山口から約1時間でトーミの頭と浅間山が美しく望める赤ゾレの頭に出ます。
トーミの頭に登ると正面に浅間山、北側に第1外輪山を一望でき、急峻な山容の黒斑山から続く蛇骨岳・仙人岳の稜線と浅間山とが作る景観は一見の価値があります。
トーミの頭から第1外輪山を北進し、縦走が始まります。黒斑山へ向かう途中で草スベリ分岐を右に見送り、針葉樹林帯の緩斜面を登り、浅間山の火山活動を監視するライブカメラや避雷針の脇を通り黒斑山に立ちます。山頂から北側を望むと展望の良い稜線が蛇骨岳・仙人岳・鋸岳へと続きます。
蛇骨岳まで進むと西側の展望が効きだし、湯ノ丸山、篭ノ登山などの山々が見えてきます。
蛇骨岳で大きく進路を東に取り、仙人岳まで来ると北側の展望が広がり、眼下には浅間高原シャクナゲ園が見えてきます。仙人岳からゆっくり下って行くと鋸岳手前のJバンド下降点が見えてきます。鋸岳からはバカ尾根が北東方向に伸び、その先に西暦1783年の大噴火で押し流された火砕流が襲った「鬼押し出し」が見えています。現在は、浅間山火山博物館や浅間園キャンプ場などが出来て、観光地化しています。
Jバンド下降点から下ると賽ノ河原へ降りたちます。ガレ場の急斜面ですが、途中難所は有りません。
賽ノ河原の中の登山道を真っ直ぐ進むと樹林帯の中へ入ります。 Jバンドと浅間山(前掛山)への分岐を左に見送り、湯ノ平口で草スベリの急斜面に取り付きます。
湯ノ平口分岐からトーミの頭への登りは急坂で、つづら折りの登山道をゆっくりと登ります。 1時間ほどで稜線に上がり、トーミの頭から車坂峠登山口に向け中コースを下ります。
コースタイム
- 車坂峠登山口から黒斑山・蛇骨岳 ・仙人岳の周回 6時間40分
難易度 1/10
体力 3/10 日帰り
② 浅間山-浅間山荘から前掛山コース
浅間山荘の駐車場(1日500円)にマイカーを停め出発です。(浅間山荘の天狗温泉は、鉄分により赤みを帯びた濁り湯冷鉱泉で、日帰り温泉として下山時に入浴ができます。)
駐車場横の登山口には公衆トイレと登山届、そして火山活動レベル表示があります。
登山口からしばらく樹林帯の中のなだらかな登りが続きます。 一ノ鳥居をくぐった所で、山側コースと谷側コースとに分岐します。
蛇堀川に沿って谷側コースを進むと、20分ほどで不動滝に到着します。 不動滝は水量があまり無い為、迫力に欠ける小さな滝です。
不動滝を過ぎると傾斜が増し、ジグザグに登るとニノ鳥居です。 ニノ鳥居で山側コースと合流し、「長坂」と呼ばれる急坂がしばらく続きます。
急坂が終わると展望が開け、右手側には牙山、左手側にはトーミの頭から続く岩稜が見えてきます。
登山道沿いに建つ中開霊神の石碑をやり過ごし、硫黄の匂いのするザレ場を通過すると火山館に到着します。
火山館は無料休憩所として一般に開放されていて、テラス、公衆トイレが完備しています。 また、火山館の一階は急な噴火に備えてシェルーとなっています。 水は豊富に出ていますので、給水には困りません。
火山館の少し上にある浅間神社の脇を登ると、登山道は平坦となり、湯の平口分岐でトーミの頭方面の草スベリルートを左に見送ります。
湯の平高原の先に広がるトーミの頭から続く第一外輪山(黒班山・蛇骨岳・三人岳・鋸岳)の素晴らしい景色を堪能しつつ、樹林の中へ入ります。
前掛山登山口分岐でJバンド方面を左に見送り、少し登った所から完全に展望が開け、前掛山の全貌が姿を現します。
前掛山の山腹を斜め方向に登って行くと、次第に傾斜がきつくなり、分岐から1時間ほどで「立入禁止警告板」のある所に到着します。
浅間山火口はこの場所から15分ほどの所にあり、登山道もありますが、現時点ではロープが張られ立ち入りできません。
ここから前掛山山頂へは第二外輪山に沿って進みます。 シェルターが2棟設置された脇を通り越し、比較的なだらかな第二外輪山の稜線を登ると前掛山山頂です。
山頂からは360度の展望があり、浅間山の噴火口の一部分を垣間見ることができますが、中を覗き込むことはできません。
立入禁止警告板の記載内容
【ここから火口までは立ち入り禁止(警戒区域)です。特に火口付近は崩れやすく、滑落する危険があります。又、有毒火山ガス(硫化水素・二酸化硫黄)による事故の恐れもあります。立ち入ると法律により罰せられることがあります。下山は必ず小諸口へ】
コースタイム
- 登山:浅間山荘登山口⇒前掛山 4時間
- 下山:前掛山⇒浅間山荘登山口 2時間50分
難易度 1/10
体力 3/10 日帰り
③ 冬季浅間山-車坂峠から黒斑山コース
登山口となる車坂峠(高峰高原ホテル)までのチェリーパークラインの車道は広い上に、きちっと除雪されている為アクセスは良好です。当日の車道にはほとんど雪が有りませんでした。
高峰高原ビジターセンター駐車場から車坂峠の表コース登山口へ向かいます。山中に於いて、2月下旬の平日(快晴)で約15人ほどの登山者と会いました。当日の車坂峠の登山口の積雪は1mを越えていますが、雪が締りワカン・スノーシューの必要はありません。
約1時間でトーミの頭と浅間山が美しく望める展望台(赤ゾレの頭)に出ます。ここまではアイゼンの必要は必ずしもありません。
赤ゾレの頭からトーミの頭までややきつい登りです。湯ノ平に向かって落ち込む谷側の傾斜は35度を超えているため12本歯アイゼンを装着して登ります。この日は雪質もよく締まり、アイゼンがしっかり効くのでピッケルを使用している登山者は誰もいませんでした。しかし、雪の表面がアイスバーンになっている場合にはピッケルは必携です。
トーミの頭から黒斑山までは、概ね樹林帯の中を登りますが、一か所右側が崖になっている所の通過があります。危険ではありませんが、雪の状態を確認して慎重に通過します。
黒斑山山頂からは、浅間山(前掛山)方面のみの展望が開け、裏側(西側)は木によって視界が遮られています。黒斑山から浅間山第一外輪山を縦走する登山者は少ない様で、トレースがありませんでした。今回は、ここで車坂峠へ引き返すこととします。冬季ルートとして黒斑山までなら登山初心者でも安全に登ることが出来ます。
コースタイム
- 登山:車坂峠表コース登山口⇒黒斑山 2時間00分
- 下山:黒斑山⇒車坂峠表コース登山口 1時間20分
難易度 2/10
体力 1/10 日帰り
④ 浅間山-石尊山コース
標高1667.4mの石尊山は、浅間山の南西麓に出来た寄生火山で、その山容は決して目だった存在とは言えません。しかし、そのルート上には血の色を連想させる赤褐色の水が流れ落ちる「血の滝」、浅間山の噴火によって流れ出た溶岩が作り出した洞窟「座禅窟」、鉄分で赤く染まった「おはぐろ池」など、自然の名勝が多数存在します。これらの場所は江戸時代に隆盛を極めた修験自性院が行場とした霊域であり、現代の我々にとってもパワースポットと呼んでも相応しい場所と言えます。
コースタイムはルート上から外れている座禅窟(上の座禅窟、下の座禅窟)を尋ねても、往復で4時間30分あればOKで、ハイキングコースといえるようなルートです。 ルート上には鎖場などの難所はなく、登山初心者でも容易に登れます。
山頂近くの石尊平まで登ると、浅間山の山頂がくっきりと姿を現します。 石尊山の山頂まで登ると東前掛山の南面に出来た阿陀ヶ城岩の大岩壁が見事に仰がれます。 南側に目を転じると眼下に軽井沢の街が広がり、さらにその遠方に八ヶ岳連峰、南アルプス、秩父山系の山々などが視界に入ります。
登山口の追分宿は、江戸時代に発展した中山道の宿場町です。「追分節」は宿場の遊女たちの情を歌っているものとして知られていますが、その遊女・飯盛女たちの数は最盛期で270名もいたと言われ、活気に満ちた宿場町であったことが伺われます。そして、現在でもその面影が残る街並みが続いています。
コースタイム
- 登山:追分宿登山口⇒石尊山 2時間55 分 ( 座禅窟往復35分を含む)
- 下山:石尊山⇒追分宿登山口 1時間20分
難易度 1/10
体力 1/10 日帰り
浅間山の日帰り登山は出来る?
最もアクセスが便利な車坂峠登山口から黒斑山・蛇骨岳 ・仙人岳の周回コースは6時間40分あれば下山できます。また、浅間山荘登山口から前掛山のピストンで7時間ほどで下山できるので、浅間山の日帰り登山はどのコースであっても十分可能と言えます。
浅間山の登山口近くの温泉
天狗温泉 浅間山荘
登山口にある温泉宿です。泉質は単純鉄冷鉱泉の源泉掛け流しの天然温泉です。
オートキャンプ場、50台の駐車が可能、ロフト付コテージ2棟、コテージ、バンガロー、ロッジ、乗馬、多目的ルーム、グラウンドなどのサービスがあります。
日帰り入浴
大人800円
利用時間:11:00~17:00
浅間山の天気の特徴
各種情報
浅間山登山ツアー
- 浅間山|登山・トレッキングツアー
お問い合わせ
登山届提出
- 群馬県の管轄で群馬県警察へ。各登山口などの現地にも登山ポストが設置されています。
- 長野県側から長野県のホームページで携帯やパソコンから出来ます。
登山地図のスマホアプリ
- 山と高原地図のスマホアプリ
昭文社から販売されています。山と高原地図ホーダイ - 登山地図ナビアプリ 定額(500円/月 or 4800円/年)で61エリアの「山と高原地図」が使い放題。山と高原地図[地図単品購入版]地図1エリア 650円。
浅間山周辺の気温
最高気温 | 平均気温 | 最低気温 | |
1月 | -6.6 | -12.1 | -17.3 |
2月 | -5.8 | -11.7 | -17.1 |
3月 | -1.7 | -8.1 | -13.7 |
4月 | 5.4 | -1.8 | -8.3 |
5月 | 10.0 | 3.2 | -2.8 |
6月 | 12.5 | 7.0 | 2.7 |
7月 | 16.1 | 10.9 | 7.3 |
8月 | 17.3 | 11.9 | 8.1 |
9月 | 12.6 | 7.7 | 4.2 |
10月 | 7.1 | 1.4 | -3.1 |
11月 | 2.1 | -4.2 | -9.3 |
12月 | -3.4 | -9.3 | -14.3 |
浅間山登山のための装備と服装
軽アイゼン | 12本歯アイゼン | ピッケル | サングラス | ツェルト | |
1月 | × | ◎ | ◎ | ◎ | ○ |
2月 | × | ◎ | ◎ | ◎ | ○ |
3月 | × | ◎ | ◎ | ◎ | ○ |
4月 | × | ◎ | ◎ | ○ | △ |
5月 | △ | ○ | △ | △ | △ |
6月 | × | × | × | △ | × |
7月 | × | × | × | △ | × |
8月 | × | × | × | △ | × |
9月 | × | × | × | △ | × |
10月 | × | × | × | △ | × |
11月 | × | × | × | △ | ○ |
12月 | △ | ◎ | ◎ | ○ | ○ |
服装や装備品のチェックリスト
登山地図 | 必須 登山地図を忘れると道迷いの原因に!浅間山には分岐が多く登山地図は必携です。 登山地図を持って行かないと命のリスクもあります。 |
レインウェア | 必須 山の天候は急変します。天気予報で晴が出ていてもレインウェアは必須です。 また、防寒着としても使えます。セパレートタイプの通気性と防水性を兼ね備えたゴアテックスがベストです。 |
帽子 | 必須 浅間山は標高2,100mを超えると直射日光が強烈に降り注ぎます。日よけ用のつばが広く軽いものをお奨めします。寒さが厳しいときは、耳を覆うニット製、冬山ではフルフェイスタイプをお奨めします。 |
日焼け止め | 必須 浅間山の標高2,568mですが、 標高2,100mを超えると樹木が少なくなります。特に黒斑山 ~蛇骨岳~ 仙人岳~Jバンド ~賽ノ河原などや前掛山での夏季は紫外線が強いので必帯です。 |
飲料水 | 必須 火山館には大量の水が流れていますが、それ以外のルートには水場はありません。天気の良い日は少し多めに持って行きましょう。登山行程に合わせて水の量を調整するとよいでしょう。 |
ヘッドランプ | 必須 アクシデントで暗くなってからの行動を強いられた場合には必携です。また、天狗温泉 浅間山荘、高峰温泉などに泊まり早朝の暗い内から登山をする場合にも必要です。 |
行動食 | 必須 概ねコースタイムは標準で日帰りが出来ます。パン・ナッツ類・野菜ジュース、飲むヨーグルトなど立ち休憩で食べられるものを適量持っていくことをお薦めです。 |
パックカバー | 必須 ザックが濡れないようにするためのザックカバーは雨に日には絶対必要です。ザックカバーも雨衣と同様に防水性が衰えてきます。時折、防水スプレーをするなどのメンテナンスが必要です。 |
救急薬品 | 必須 切り傷、擦り傷にカットバン、絆創膏を持っていくと良いでしょう。虫刺され薬品も。トクホンのような筋肉痛に効く貼り薬もあると助かります。 |
ティッシュペーパー | 必須 登山中いきなりしたくなってしまった場合など、止血用などの万が一の時のために必帯です。 |
防寒着 | 必須 薄手のフリース,セーター、軽いダウンジャケット。 浅間山では、7~8月でも最低気温が7度近くまで下がることがあります。 軽くて保温性の高いものを選びます。ゴアテックスのレインウェアを その上に着ると更に保温性が高まります。 |
手袋 | あったら良い 黒斑山 ~蛇骨岳~仙人岳~Jバンドの稜線を歩くときにあったら助かります。 |
耳栓 | 不要 |
カメラ | あったら良い 第一外輪山や前掛山などの大パノラマや高山植物、紅葉など山旅の思い出にぜひどうぞ。ウエストポーチに収納出来る大きさであることが望ましいです。 |
ビニール袋 | あったら良い ごみ入れとして、使用前の下着入れ、使用後の下着入れとして2~4個あると便利です。 |
保険証(コピー) | あったら良い 事故や遭難時に必要です。 |
サブザック | 不要 |
シュラフカバー | 不要 |
浅間山噴火の歴史
数百万年前
浅間山では、数百万年前から火山活動が起こりました。数百万年前に鼻曲山・菅峰・烏帽子岳などが、数10万年前には高度山・高嶺山・籠ノ登山・三方ヶ峰などが出来ました。
これらが活動を辞めた後、10万年前頃から、黒斑山が噴火をはじめ、標高2800m程の成層火山に成長しました。吹き上げられた火山灰や軽石は、関東保護区に積もって関東ローム層を作りました。
2万2千年前
黒斑火山の活動の最後の時期、約2万2千年前に大爆発が起こって、山頂の東半分が崩れ落ち、大きな岩雪崩(岩屑流)が起こって南側と北側の裾野まで広がりました。このため、南軽井沢のあたりでは川の流れがせき止められて湖が出来ました。
北側の東側では泥流が発生して前橋あたりまで流れ下りました。山頂の西半分は現在、外側外輪山となって残っています。
2万年前
黒斑山の山頂が崩れ落ちた後に、新しく噴火が起こりました。大量のデイサイトの溶岩が流れ出して平たい山(盾状火山)の仏岩火山を作りました。
小浅間山と離山はこの頃出来た溶岩円頂丘です。白糸の滝に露出する軽石や雲場の軽石はその時の噴出物です。
1万3千年前
仏岩溶岩流の噴火の後、しばらく活動は休止しました。1万3千年前頃に再び大噴火が起こり、大量のデイサイトの軽石と火山灰が噴き出され、一団となって山腹を流れ下りました。
これは火砕流の一種の軽石流です。前の3回に渡って流れ、南側と北側の裾野一帯に広がり、数十メートルの厚さで積もりました。吹き上げられた軽石と火山灰は関東北部にも広がって積もりました。
約900年前
前掛火山は数千年前から成長を始めました。およそ10回ほどの大噴火があり、縄文時代の中期、4世紀中頃、1108年(天仁元年)、1783年(天明3年)に大噴火がありました。
天仁元年の噴火では、火砕流(追分火砕流)が南側と北側に流れ、溶岩流(上の舞台溶岩流)が北側斜面に流れ下りました。内側外輪山はこのとき山頂が陥没して出来たと考えられています。
現在
最後の大噴火は1783年(天明3年)に起こりました。大量の軽石を噴きあげ、火山弾を含む火砕流(吾妻火砕流)、巨大火山弾を含む火砕流(鎌原火砕流)とそれに伴った岩屑流・泥流・溶岩流(鬼押し出し溶岩流)を噴出して大きな災害を引き起こしました。
その後は爆発を繰り返して、前掛山の内側に中央火口丘の釜山の成長が続きました。
1783年(天明3年)の「天明の浅間焼け」
有史以降、西暦685年天武天皇の時代に噴火の記述が見えます。その後、大小の噴火を繰り返し、天明3年(西暦1783年)4月8日頃から大きな火山活動が始まり、俗に言う「天明の浅間焼け」が始まりました。
この噴火は、日本における近世史上最大の爆発だったとされています。同年8月4日に発生した吾妻(あがつま)火砕流は、北麓の広大な森林を飲み込んでしまいます。
更に8月5日午前10時頃に起きた大爆発は、鎌原(かんばら)火砕流を発生させます。火砕流は浅間山の北麓を駆け下り、吾妻川を堰き止め、巨大なダムを作りました。次いで決壊し、多量の水が鉄砲水となり利根川に出て下流域の村落を襲いました。
そして、鎌原火砕流発生直後に鬼押出(おにおしだし)溶岩が北側斜面を流れ下ります。これにより1500人を超える死者を出し、流出家屋1500軒にも及んだといいいます。その時の溶岩流が、現在の「鬼押し出し」として観光名所になっています。
こうした噴火は現在まで30回を超えると言われ、浅間山を取り囲むように広大な高原を形成しました。東に浅間牧場、南に追分原、西に高峰高原、北に六里ヶ原と広大な裾野を配置して、そのいたる所からどっしりと構えた山容を望めるだけに、多くの小説家や芸術家の題材になっています。
鎌原観音堂
天明の浅間焼けで生死を分けた15段
十一面観音菩薩を本尊とする鎌原観音堂(かんばらかんのんどう)は、鎌原村の西方の高台に建ち、村人の祈願所として大同元年(806年)に建てられたものです。
現在ある石畳と赤い橋の部分を掘り起こし、発掘した時の写真が下です。
天明3年(1783年)8月5日の午前10時30分頃、浅間山は大爆発を起こし、北側の鎌原村(現嬬恋村鎌原区)を大量の火砕流(鎌原火砕流・岩屑なだれ)が襲いました。俗に言う「天明の浅間焼け」です。
土石層の厚みは6メートルに達したと言わています。鎌原村は、戸数百戸前後、人口570人ほどの浅間山北麓の拠点的な集落でしたが、村は一瞬にして埋没し、被災死亡者は477人、生存者は93人でした。生存者のほとんどが鎌原観音堂に避難した人々でした。
鎌原観音堂の石段の発掘調査
鎌原観音堂の石段は昭和54年の発掘調査により、階段は全部で50段があり、そのうち35段が埋没し、発掘調査の際、2人の女性(30代の女性が50代の女性を背負う形での白骨死体)が見つかみました。
生死を分けた15段までたどり着けたのに、おそらく5分ほどの差が2人の命を奪ってしまったのです。
鎌原観音堂の発掘調査の遺品や下記延命寺の出土品などが嬬恋村資料館に保管展示されています。
鎌原村の復興
近隣の有力百姓3人の世話役によって、生き残った村民のうち、夫や妻を失った男女で適当な組み合わせを作り再婚させ、また、子供を亡くした老人に親を亡くした子供を養子にするなどして、家族の再編が進められました。
そして江戸幕府の援助により、村の再開発が進められました。今、鎌原地区に住む人々のほとんどは、この時の新家族の子孫だといいます。
延命寺跡
天明3年の浅間山大噴火で地中深く埋没した延命寺。
長歴3年(1039)創建と伝えられる延命寺は、鎌原観音堂から200mほど離れた場所にあります。当時、浅間山北麓の人々の間で浅間山自体を神格化した浅間大明神への信仰が広まっていました。名刹・延命寺は浅間大明神の別当寺としてその中心的な役割を果たしていました。
その延命寺は浅間山大噴火の際、地中深くに埋まってしまいます。昭和60年から6年間にわたり、延命寺の発掘調査を実施した結果、本堂・庫裏・納屋と思われる建物の存在を確認し、生活用品も多数発見されました。仏具や陶磁器などの品質の高さから、かなり高い生活水準だったことがうかがえます。
天明の大飢饉
天明の大飢饉は日本最大の大飢饉とされ、天明2年(西暦1782年)から天明8年(西暦1788年)にかけて起こりました。 その原因は、天候不順による冷害で疲弊していた農村に、天明3年の浅間山の大噴火が拍車を掛けたことによるものでした。
成層圏まで達した噴煙は数年間上空に留まり、日射量の低下を引き起こします。それにより農作物に壊滅的な打撃を与えました。東北地方の農村を中心に全国での飢餓者は百万人を超えたといいます。
石尊山と石尊信仰
浅間神社
北佐久郡軽井沢町追分にある浅間神社(あさまじんじゃ)は、かつて浅間山・石尊山の遥拝の里宮として鎮座し、修験者・信徒の修行の道が石尊山に伸びていました。
「天明の浅間焼け」以来、近隣の人々が浅間山の怒りを鎮めるために信仰し続けてきた古社です。古くは湯ノ平に所在していたようですが、現在、火山館近くに浅間神社奥社として鎮座しています。浅間大明神を浅間山の神に例え拝んだようです。
祭神は大山祗神・磐長姫神で、本殿は流造となって、海老虹梁・宝珠の彫りが見事で木鼻(象鼻)の出っ張りが室町時代の様式を残しています。軽井沢町指定文化財に指定されています。
神社右手奥の建物は軽井沢町追分宿郷土館で、浅間山や石尊山の修験道に関わる自性院などの資料が展示されています。
自性院と石尊信仰
江戸時代後半の寛政(1789年-1801年)から文化・文政期(1804年 - 1830年)にかけて石尊信仰が流行します。その中心的存在となったのが軽井沢町追分宿の修験社寺・自性院です。
石尊山は石尊権現(自然の御神体磐座)が祀られた山で、上の修行窟(座禅窟上)と下の修行窟(座禅窟下)の間に石尊社が置かれています。また、石尊信仰に関わる石造物も多数あり、修験道遺跡として貴重な遺構となっています。
石尊信仰は神奈川県伊勢原市の丹沢大山において始まった信仰で、大山山頂の石尊社と別当大山寺がその中心となっていました。現在は、大山阿夫利神社が中心となっています。詳しくは大山のページをご覧ください。
別当大山寺の僧らが御師となって関東全域に石尊信仰を広めていきます。大山寺の御師達がまとめた「開導記」によると、長野県の石尊信仰の広まりは、8人の御師によって八郡に石尊講が作られ、中山道・甲州伊那街道といった主要街道沿いで、特に東信地域にその数が多く作られたとあります。
石尊山中腹の「血の滝」の脇の溶岩壁にぽっかりと空いた洞窟に「不動明王」、上の修行窟(座禅窟上)に「千手観音」、その上の溶岩の絶壁に大天狗・小天狗、下の修行窟(座禅窟下)に「聖観音・如意輪観音・千手観音」などが残っています。 これらは自性院が設定した霊域の中に置かれた石造物で、修験道の行場になっていた場所である事を物語っています。
天明3年の浅間山の大噴火では、北側の上州側で1000名を超える死傷者が出るなど被害が大きかった一方、南側の信州側ではその被害は比較的小さかったといいます。石尊山もこの大噴火の被害をまぬがれた場所でした。このことは”浅間山の災害を封じ込める神として石尊権現のご利益があった”とする自性院の宗教活動の一環に利用されたとも考えられます。
浅間神社の西側にあった自性院は、明治新政府による神仏分離令に伴う廃仏毀釈により廃寺となります。現在は寺の建物はなく、不動明王の石像・御嶽山蔵王大権現・石灯籠などの遺構があるのみです。
参考文献:浅間山と祈り-追分宿と山の信仰-追分宿郷土館
真言宗智山派真楽寺
浅間神社里宮から東に約1.5kmほど行った所に遠近宮(おちこちぐう)があります。ここも、浅間山を正面から拝む遥拝所でした。 長野県北佐久郡御代田町塩野の真言宗智山派真楽寺は、かつて浅間山の別当寺で、神楽寺と呼ばれ山中にあったようです。