男体山とは
男体山は日光国立公園に属し、栃木県日光市の中禅寺湖の北岸に位置する標高2,486mの火山です。日本百名山の一つにも数えられています。
いろは坂を車を走らせた先にある中禅寺湖から望む山体は円錐形で、その形が富士山に似ることから日光富士とも呼ばれています。また、日光山、二荒山、補陀落山、黒髪山などと数多くの呼び名が付けられています。
- 1. 日光三山
- 2. 日光連山
- 3. 男体山の爆裂火口
- 4. 男体山の山開き
- 4.1.1. 開山祭
- 4.1.2. 男体山登拝大祭
- 5. 男体山の地図
- 6. 男体山登山口の駐車場とアクセス
- 7. 男体山の登山コース概要
- 7.1. ① 男体山-日光二荒山神社コース
- 7.2. ② 男体山-志津乗越コース
- 8. 男体山の日帰り登山は出来る?
- 9. 男体山の登山口近くの温泉
- 9.1. 奥日光高原ホテル
- 9.1.1. 日帰り入浴
- 10. 男体山の天気の特徴
- 11. 各種情報
- 11.1.1. 男体山登山ツアー
- 11.1.2. お問い合わせ
- 11.1.3. 登山届提出
- 11.1.4. 登山地図のスマホアプリ
- 12. 男体山周辺の気温
- 13. 男体山登山のための装備と服装
- 14. 服装や装備品のチェックリスト
- 15. 二荒山名前の由来
- 16. 男体山の開山の祖 勝道上人
- 17. 日光修験
- 18. 男体山頂遺跡
- 19. 男体山栄枯盛衰
日光三山
男体山は、北東に聳える標高2,460メートルの女峰山、北西の標高2,368mの太郎山とともに日光三山と呼ばれています。
日光連山
男体山、女峰山、太郎山に標高2,578mの日光白根山を加えた総称が日光連山です。日光連山は、お父さんの男体山が大己貴命、お母さんの女峰山が田心姫命、その息子の太郎山が味耜高彦根命、その姉妹の大真名子山と小真名子山が御愛子神を祀っているファミリー山になっています。
男体山の爆裂火口
男体山は有史以前の火山爆発により山頂の北側に直径400m ほどの巨大な火口が見られます。中禅寺湖は爆発により引き起こされた溶岩流によって大谷川が堰き止められて出来たものです。
男体山の山開き
開山祭
日光二荒山神社中宮祠で男体山の山開きの開山祭が4月25日午前10時から行われます。登拝門のかんぬきが外され門が開けられます。登拝期間は例年4月25日から11月11日までです。
男体山の山開きは周辺の山に比べ早く雪解けが進むこともあり、4月25日から登山ができます。登拝料の1,000円を奉納して登拝門をくぐり出発します。
男体山登拝大祭
古来より山岳信仰の対象となる男体山では、男体山登拝大祭が毎年7月31日から一週間開催され、夜間登拝も行われています。
男体山の地図
男体山登山口の駐車場とアクセス
男体山の登山コース概要
① 男体山-日光二荒山神社コース
日光二荒山神社の境内を抜け、登山道が始まるルートです。JR日光駅/東武日光駅から登山口までの路線バスの本数が多い為、アクセスは大変便利です。 日光二荒山神社境内には登山者用駐車場約20台と公衆トイレが完備しています。 駐車場が一杯の場合には、近くの県営有料駐車場(約200台)に移動してください。
日光二荒山神社境内の先にある門をくぐり登山道が始まります。 一合目と記された石碑を右に見送り、針葉樹林帯の登りがしばらく続きます。舗装された道路をジグザグに進むと本格的な登山道となります。
南面を登るので太陽の光が降り注ぎ気持ちいいルートです。
時折振り返れば中禅寺湖が眼下に望めます。背の低い笹の中を登り、ゴロゴロした岩の間を登ると避難小屋です。避難小屋の周は丁度良い休憩スポットで、多くの登山者が休んでいます。 さらにゴロゴロした岩場が続きます。傾斜は緩い岩場ですが落石注意の看板が複数目に付く所です。
樹林帯を抜けると展望が開け、火山であることをうかがわせる砂礫地を登っていきます。鳥居をくぐり二荒山神社奥宮で手を合わせ、少し進むと男体山山頂です。
コースタイム
- 登山:日光二荒山神社中宮⇒男体山 3時間20分
- 下山:男体山⇒日光二荒山神社中宮 2時間20分
難易度 1/10
体力 2/10 日帰り
② 男体山-志津乗越コース
5月中旬の志津乗越ルートは北面にある為、残雪が多くありましたがアイゼンは必ずしも必要ではありません。踏み抜きを起こすためスパッツを装着して登山することをお勧めします。 志津乗越へのアプローチでマイカーの場合、梵字飯場跡(新駐車場)までとなり、志津乗越へは車が入りません。また、路線バスを使う場合、バス停のある八本松から約2時間30分の林道歩きが必要です。
八合目を越えると変化に富んで美しい景観が続く良いルートです。
登山口の志津乗越から正面に聳える男体山に向かいます。志津乗越から林道を5分ほど歩くと登山道入り口があります。登山道に入ると直ぐに避難小屋が現れます。避難小屋は解放され、寝具が置かれていました。
避難小屋の先の社を左手に見送り、ゆっくりと高度を上げると一合目です。二合目の先にあるザレ場を過ぎ、再度樹林帯の中を登ると三合目です。四合目辺りまで登ると、次第に残雪が多くなってきました。六合目を過ぎた所でさらに残雪が深くなり、トラバースを余儀なくされる所を通過すると展望が開け、山頂が見えてきました。
七合目を過ぎ、次第に背の高い樹木が少なくなり、雪が消えている所が多くなってくると徐々に展望が開けてきます。急斜面を登り切ると、八合目の標識が立つ展望台のような所に飛び出します。振り返ると日光白根山、女峰山などの雄大な景色が広がります。 八合目からは、遮る物があまりない展望良好な稜線歩きが続きます。次第に傾斜は緩くなり、残雪の稜線を進むと男体山山頂です。
コースタイム
- 登山:梵字飯場跡(新駐車場)⇒志津乗越⇒男体山 3時間50分
- 下山:男体山⇒志津乗越⇒梵字飯場跡(新駐車場) 2時間40分
難易度 1/10
体力 2/10 日帰り
男体山の日帰り登山は出来る?
男体山の表登山口である-日光二荒山神社コースならゆっくり歩いても6時間を下山が出来ます。また、裏登山口になる志津乗越ルートならアクセスに時間を要しますが、6時間30分ほどのコースタイムです。いずれのコースを選んでも日帰り登山は容易です。
男体山の登山口近くの温泉
奥日光湯元温泉は、日光国立公園内に位置し、美しい自然環境に囲まれています。温泉地周辺には深い森林や美しい湖の湯ノ湖、滝などがありり、四季の風景を楽しむことができます。
日光の奥座敷といわれ、約1200年前に日光開山の祖・勝道上人が発見したとされる白濁の硫黄泉が湧く名湯です。
奥日光高原ホテル
奥日光湯元温泉の奥日光高原ホテルでは「加水・加温」なしの源泉掛け流し・乳白色の硫黄温泉です。
泉質はナトリウムー硫酸塩・炭酸水素塩・塩化物温泉(中性低張性高温泉)です。
食事も大変美味しく、スタッフさんの対応もよくオススメです。
男体山の表登山口日光二荒山神社まで11.9km 車で16分。
日帰り入浴
- 入浴時間:12:30~15:00(最終受付14:00)
- 料金:大人(中学生以上):1,000円(税込)、小人(小学生):800円(税込)
男体山の天気の特徴
各種情報
男体山登山ツアー
- 男体山|登山・トレッキングツアー
お問い合わせ
登山届提出
登山地図のスマホアプリ
- 山と高原地図のスマホアプリ
昭文社から販売されています。山と高原地図ホーダイ - 登山地図ナビアプリ 定額(500円/月 or 4800円/年)で61エリアの「山と高原地図」が使い放題。山と高原地図[地図単品購入版]地図1エリア 650円。
男体山周辺の気温
最高気温 | 平均気温 | 最低気温 | |
1月 | -7.0 | -10.7 | -14.7 |
2月 | -6.6 | -10.5 | -14.7 |
3月 | -3.0 | -7.3 | -11.7 |
4月 | 3.4 | -1.6 | -6.5 |
5月 | 8.2 | 3.3 | -1.5 |
6月 | 11.1 | 7.1 | 3.5 |
7月 | 15.0 | 11.1 | 7.8 |
8月 | 16.0 | 12.1 | 8.7 |
9月 | 12.0 | 8.3 | 5.0 |
10月 | 6.6 | 2.5 | -1.5 |
11月 | 1.6 | -2.6 | -6.8 |
12月 | -3.7 | -7.6 | -11.6 |
男体山登山のための装備と服装
軽アイゼン | 12本歯アイゼン | ピッケル | サングラス | ツェルト | |
1月 | - | - | - | - | - |
2月 | - | - | - | - | - |
3月 | - | - | - | - | - |
4月 | △ | △ | △ | ○ | ○ |
5月 | × | × | × | △ | △ |
6月 | × | × | × | △ | × |
7月 | × | × | × | △ | × |
8月 | × | × | × | △ | × |
9月 | × | × | × | △ | × |
10月 | × | × | × | △ | △ |
11月 | △ | × | × | △ | ○ |
12月 | - | - | - | - | - |
服装や装備品のチェックリスト
登山地図 | 必須 登山地図を忘れると道迷いの原因に!男体山から分岐が少なく山頂をピストンするだけならほぼ道迷いはありません。しかし、万が一のために登山地図を持って行くのが賢明です。 |
レインウェア | 必須 山の天候は急変します。天気予報で晴が出ていてもレインウェアは必須です。 また、防寒着としても使えます。セパレートタイプの通気性と防水性を兼ね備えたゴアテックスがベストです。 |
帽子 | 必須 男体山は9合目を超えると直射日光が強烈に降り注ぎます。日よけ用のつばが広く軽いものをお奨めします。寒さが厳しいときは、耳を覆うニット製、冬山ではフルフェイスタイプをお奨めします。 |
日焼け止め | 必須 男体山は標高2,486mですが、 山頂周辺は日光を遮る木々が一切ありません。夏季は紫外線が強いので必帯です。 |
飲料水 | 必須 志津乗越コース、日光二荒山神社コースともに水場はありません。天気の良い日は少し多めに持って行きましょう。登山行程に合わせて水の量を調整するとよいでしょう。 |
ヘッドランプ | 必須 アクシデントで暗くなってからの行動を強いられた場合には必携です。また、ご来光を山頂で迎えるために暗い内から登る場合にも必要です。 |
行動食 | 必須 コースタイムはさほど長くありません。パン・ナッツ類・野菜ジュース、飲むヨーグルトなど立ち休憩で食べられるものがお薦めです。 |
パックカバー | 必須 ザックが濡れないようにするためのザックカバーは雨に日には絶対必要です。ザックカバーも雨衣と同様に防水性が衰えてきます。時折、防水スプレーをするなどのメンテナンスが必要です。 |
救急薬品 | 必須 切り傷、擦り傷にカットバン、絆創膏を持っていくと良いでしょう。虫刺され薬品も。トクホンのような筋肉痛に効く貼り薬もあると助かります。 |
ティッシュペーパー | 必須 登山中いきなりしたくなってしまった場合など、止血用などの万が一の時のために必帯です。 |
防寒着 | 必須 薄手のフリース,セーター、軽いダウンジャケット。 男体山では、7~8月でも最低気温が8度近くまで下がることがあります。 軽くて保温性の高いものを選びます。ゴアテックスのレインウェアを その上に着ると更に保温性が高まります。 |
手袋 | あったら良い |
耳栓 | 不要 日帰り登山が基本です。 |
カメラ | あったら良い 360度の大パノラマや高山植物、紅葉など山旅の思い出にぜひどうぞ。ウエストポーチに収納出来る大きさであることが望ましいです。 |
ビニール袋 | あったら良い ごみ入れとして、使用前の下着入れ、使用後の下着入れとして3~4個あると便利です。 |
保険証(コピー) | あったら良い 事故や遭難時に必要です。 |
サブザック | 不要 |
シュラフカバー | 不要 |
二荒山名前の由来
二荒山(ふたらさん)という呼び名は、補陀落山(ふだらくせん)から転訛 したものです。補陀落夏峰という日光修験独特の修行の名前にも「補陀落」が残っています。「補陀落」とは天竺(インド)のはるか南方海上にある観世音菩薩が住むという八角形の山のことです。男体山を中心とする奥日光を観音浄土になぞらえたもので、男体山を以前は補陀落山と呼んでいました。
男体山の開山の祖 勝道上人
男体山を開山したのは奈良時代末期から平安時代初期にかけて活躍した修験僧の勝道上人です。神護景雲元年(西暦767年)の4月に山頂を目指したが登頂は果たせませんでした。その後、開山の意欲は衰えず四本龍寺を建立し、初チャレンジから15年後の天応2年(西暦782年)3月に初登頂に成功しました。勝道48歳の時である。
その後、山頂に二荒山権現を祀り、立木観音堂(神宮寺、後の中禅寺)、日輪寺などを建立しました。次いで、四本龍寺の南に二荒山権現社(二荒山神社本宮)を建立し、日光山の宗教施設の礎を作ったとされています。
日光修験
現在でも日光修験道入峰(にっこうしゅげんどうにゅうぶ)が行われており、希望者は参加できます。
男体山頂遺跡
明治10年にアメリカ人の動物学者モースが山頂で男体山頂遺跡の存在を明らかにしました。昭和に入り、本格的な発掘がなされ6000点に及ぶ遺物が発見されました。その中に二神二獣鏡などの奈良時代以前の遺物が含まれていることが分かり、勝道の開山以前に登頂をした人々がいた可能性が出てきました。
それらの遺物は中禅寺湖畔の二荒山神社中宮祠「宝物館」に国の重要文化財に指定され陳列されています。
男体山栄枯盛衰
平安時代の後期(治承年間)に戦乱により四本龍寺など多くの神社が焼失しました。 その後、鎌倉幕府の保護により焼失した堂社の多くが再建され、仁治元年(西暦1240年)には四本龍寺に代わって本院として光明院が創建されました。
戦国時代になると日光山は豊臣秀吉によって没収され衰退していきます。そして、江戸時代になり徳川家康によって日光山は復活します。久能山に葬られた家康の棺は日光山(日光東照宮)へ改葬されます。三代将軍家光は日光山の大改修を行いました。
その後、日光東照宮は二荒山神社、輪王寺とともに大繁盛を見ることとなります。江戸時代にはいろは坂を登った参拝者達は男体山を登るものも多くいたとされます。