霞沢岳とは
霞沢岳の登山口は徳本峠と上高地です。
島々宿から徳本峠を越え、上高地へ抜けるルートは、江戸時代初期より島々宿周辺の人々の生活に欠かせませんでした。
木材を伐採した運搬路として、炭焼きの仕事場として、また、薬草採りの人々も歩いた道でした。
明治時代になると日本アルプスを世界に紹介したウォルター・ウエストンや作家の芥川龍之介も通った歴史ある峠道です。
1933年にバスが上高地に乗り入れるまで、この徳本峠を越えるルートは、登山者にとってメインルートとして利用されていました。
徳本峠の読み方
徳本峠は「とくごうとうげ」と読みます。
島々宿を登山口として霞沢岳に登り徳本峠小屋に戻るまでの標準タイムは約14時間です。
上高地の明神館に前夜泊した場合でも霞沢岳のピストンは標準タイムで11時間30分です。いずれにしても日帰りではかなりハードなコースとなります。
- 1. 霞沢岳の地図
- 2. 霞沢岳の山小屋
- 3. 霞沢岳のアクセス
- 4. 霞沢岳の登山コース概要
- 4.1. ① 島々宿から徳本峠越ルート
- 4.1.1. 島々宿から徳本峠越ルートの難易度
- 4.2. ② 霞沢岳から上高地へ下山ルート
- 4.2.1. 霞沢岳から上高地へ下山ルートの難易度
- 5. 霞沢岳の日帰り登山は可能?
- 6. 霞沢岳の登山口近くの温泉
- 7. 霞沢岳登山口の上高地に泊まる
- 8. 霞沢岳の天気の特徴
- 9. 霞沢岳の魅力
- 9.1. 穂高岳と焼岳、笠ヶ岳の絶好の展望地
- 9.2. 霞沢岳の紅葉
- 10. 各種情報
- 10.1.1. 霞沢岳登山ツアー
- 10.1.2. 役場
- 10.1.3. 温泉宿の問い合わせ
- 10.1.4. 登山届提出
- 10.1.5. 登山地図のスマホアプリ
- 11. 霞沢岳山頂周辺の気温
- 12. 霞沢岳へ登るための装備と服装
- 13. 服装や装備品のチェックリスト
- 14. 三木秀綱奥方の遺跡
霞沢岳の地図
- 東京・大阪・京都⇔上高地 さわやか信州号
- 霞沢岳の登山地図(昭文社)Amazonで見る
- 霞沢岳の登山地図(昭文社)楽天で見る
霞沢岳の山小屋
霞沢岳のアクセス
霞沢岳の登山コース概要
① 島々宿から徳本峠越ルート
島々宿から徳本峠までのコース概要は、島々谷と島々谷南沢に沿って登山道が付けられています。この間は、緩斜面が連続します。峠沢に入った所からつづら折りの急斜面になり、徳本峠小屋に飛び出します。
二俣と岩魚留小屋間に登山道が崩壊している箇所があり、やや危険です。特に台風などの大雨の後に入山する場合は、徳本峠小屋へ確認することをお薦めします。
徳本峠と霞沢岳の標高差は500メートルほどしかありませんが、アップダウンが強く、累積標高差は800メートルを超えます。
徳本峠と霞沢岳のピストンは、約7時間必要です。この間に特段の難所は無く、 K1ピークの手前で森林限界を超え展望が開けます。
霞沢岳は上高地を挟んで穂高岳と対峙する位置にあるため、穂高連峰の絶好の展望台と言うことが出来ます。
二俣から少し進んだ島々谷南沢に「三木秀綱奥方の遺跡」があることから、戦国時代には既に、このルートが開通していたということなのでしょうか? ※ 戦国武将の飛騨・松倉城主、三木秀綱については、中尾高原から焼岳のページに記載しています。
コースタイム
- 登山:島々宿の安曇支所→徳本峠小屋 6時間50分, 徳本峠小屋→霞沢岳 4時間, 合計:10時間50分
- 下山:霞沢岳→徳本峠小屋 3時間10分, 徳本峠小屋→上高地バスターミナル 2時間20分, 合計:5時間30分
島々宿から徳本峠越ルートの難易度
難易度 2/10
体力 4/10 (1泊)
② 霞沢岳から上高地へ下山ルート
霞沢岳から徳本峠小屋まで3時間10分、徳本峠小屋から上高地の明神まで1時間20分、さらに上高地バスターミナルまで1時間です。その間、難所はありません。
北アルプスの中でも南に位置しているので、残雪が消えるのが比較的早く、6月中旬頃から登山最適期となります。9月下旬から10月上旬にかけてK1ピークの足元から六百山へ伸びる稜線の斜面が赤や黄色に紅葉し、その先に穂高岳が聳える様は見事です。
コースタイム
- 登山:島々宿の安曇支所→徳本峠小屋 6時間50分, 徳本峠小屋→霞沢岳 4時間, 合計:10時間50分
- 下山:霞沢岳→徳本峠小屋 3時間10分, 徳本峠小屋→上高地バスターミナル 2時間20分, 合計:5時間30分
霞沢岳から上高地へ下山ルートの難易度
難易度 1/10
体力 2/10 (1泊)
霞沢岳の日帰り登山は可能?
徳本峠に建つ徳本峠小屋と霞沢岳の標高差は僅か500mほどですが、アップダウンが強く、累積標高差は800mを超えます。
徳本峠小屋と霞沢岳のピストンのコースタイムは約7時間を見ておく必要があります。従って霞沢岳の日帰り登山は健脚者であっても難しいと言わざるを得ません。
徳本峠小屋で一泊するのが理想的です。
霞沢岳の登山口近くの温泉
焼岳周辺に良質な温泉が沸く
霞沢岳の隣にある焼岳は、現在でも噴煙を上げている活火山です。その周辺に、良質な泉質の温泉が湧き出る所が多数あります。
代表的な温泉が白骨温泉、新穂高温泉、平湯温泉などです。
新穂高温泉 深山荘
深山荘は新穂高温泉の登山者用無料駐車場の近くにあります。 ハイシーズンには登山者用無料駐車場が一杯になることが多いので、深山荘に宿泊すれば、下山まで深山荘の駐車場を使えるので安心です。
高原川沿いに階段状になった複数の広い露天風呂は開放的です。
深山荘から新穂高ロープウェイまでは1.1 km、 徒歩13分です。
新穂高温泉 槍見の湯 槍見館
槍ケ岳を眺む絶景7種の露天風呂が高原川沿いにある秘湯の一軒宿です。
湯量豊富で源泉かけ流しです。
笠ヶ岳のクリヤ谷登山口は旅館のすぐ脇から始まります。
槍見館から新穂高ロープウェイまでは2.9 km 、徒歩 33分です。
上高地温泉ホテル
梓川に沿って建つ上高地温泉ホテルは、登山基地として使用しても大変便利です。
文政年間(1830年代)に開湯され、三つの自家源泉を持つ源泉かけ流しの温泉です。温泉の効能により、湯上り後長時間に渡って体がポカポカし、心地よい眠気に誘われます。
白骨温泉泡の湯
白骨温泉の中でも最も有名な温泉旅館です。
真っ白い硫黄の温泉が木樋から流れ落ちる大きな露天風呂が魅力的です 。
露天風呂は混浴ですが、男女別になっている露天風呂の入り口で、首まで浸かってから露天風呂に侵入すれば、お湯が白いため裸のままでも他人から見えません。
中の湯温泉旅館
松本駅の無料送迎が利用できます。(予約制)
夏季
(4月下旬~11月中旬)上高地へのマイカー規制をしています。
4月下旬~11月中旬には、要望に応じて毎朝1便上高地までの送迎あり。(要予約)
冬季
上高地に行かれる方は釜トンネルゲートまで随時送迎があります。
また旅館周辺でもスノーシューで散策できます。
スノーシューの無料レンタルあり、(通常スノーシューレンタル一日分1500円)
霞沢岳登山口の上高地に泊まる
上高地帝国ホテル
上高地の中で最も高級なホテルです。 1泊2食付で1室2名で利用した場合の最低の部屋の料金は一人40000円以上です。
自宅(東京都内)と上高地間を帝国ホテルハイヤーにて送迎するプランもあります。中型車(クラウン・シーマ)で 210,000円です。
霞沢岳の天気の特徴
霞沢岳は晴天の確率が比較的高い
北アルプスの中でも南に位置しているので、残雪が消えるのが比較的早く、6月中旬頃から登山最適期となります。
霞沢岳の魅力
穂高岳と焼岳、笠ヶ岳の絶好の展望地
徳本峠小屋まで上がると穂高岳の一角・明神岳が、その鋭い岩峰を天に突き刺す様はここでしか見られない光景でしょう。
K 1ピークから霞沢岳にかけての稜線からは梓川を挟んで屏風のようにそそり立つ穂高岳は圧巻です。
焼岳が目と鼻の先に見えます。そして眼下には上高地帝国ホテルと上高地温泉ホテルの赤い屋根が確認でき、その先には笠ヶ岳がそびえています。
霞沢岳の紅葉
9月下旬から10月上旬にかけてK1ピークの足元から六百山へ伸びる稜線の斜面が赤や黄色に紅葉し、その先に穂高岳が聳える様は見事です。
また、焼岳の新中の湯ルートの途中、下堀沢周辺が紅葉しているのもよくわかります。
各種情報
霞沢岳登山ツアー
- 霞沢岳|登山・トレッキングツアー
役場
- 松本市役所山岳観光課 電話:0263-94-2307
温泉宿の問い合わせ
- 奥飛騨温泉郷観光協会 電話:0578-89-2614
- 平湯温泉観光案内所 電話:0578-89-3030
登山届提出
- 長野県のホームページで携帯やパソコンから出来ます。また、岐阜県側からは岐阜県北アルプス山岳遭難対策協議会事務局のホームページから提出出来ます。また、各登山口(新穂高温泉、中房温泉、上高地)などの現地にも登山ポストが設置されています。
登山地図のスマホアプリ
- 山と高原地図のスマホアプリ
昭文社から販売されています。山と高原地図ホーダイ - 登山地図ナビアプリ 定額(500円/月 or 4800円/年)で61エリアの「山と高原地図」が使い放題。山と高原地図[地図単品購入版]地図1エリア 650円。
霞沢岳山頂周辺の気温
最高気温 | 平均気温 | 最低気温 | |
1月 | -8.4 | -12.8 | -17.4 |
2月 | -7.6 | -12.1 | -17.5 |
3月 | -3.3 | -9.0 | -14.9 |
4月 | 5.1 | -2.0 | -8.1 |
5月 | 10.5 | 3.8 | -2.2 |
6月 | 13.5 | 7.8 | 3.1 |
7月 | 16.7 | 11.4 | 7.3 |
8月 | 18.4 | 12.5 | 7.9 |
9月 | 13.5 | 8.1 | 3.9 |
10月 | 7.5 | 1.4 | -2.2 |
11月 | 1.6 | -4.7 | -9.3 |
12月 | -5.3 | -9.9 | -14.3 |
霞沢岳へ登るための装備と服装
軽アイゼン | 12本歯アイゼン | ピッケル | サングラス | テント | |
1月 | × | ◎ | ◎ | ◎ | ◎ |
2月 | × | ◎ | ◎ | ◎ | ◎ |
3月 | × | ◎ | ◎ | ◎ | ◎ |
4月 | × | ◎ | ◎ | ◎ | ◎ |
5月 | × | ◎ | ◎ | ◎ | △ |
6月 | △ | ○ | × | △ | × |
7月 | × | × | × | △ | × |
8月 | × | × | × | △ | × |
9月 | × | × | × | △ | × |
10月 | × | × | × | △ | × |
11月 | × | × | × | △ | × |
12月 | △ | ◎ | ○ | ◎ | ◎ |
服装や装備品のチェックリスト
登山地図 | 必須 登山地図を忘れると道迷いの原因に!徳本峠小屋まではいたるところに分岐があります。 登山地図を持って行かないのは命取りと言えます。 |
レインウェア | 必須 山の天候は急変します。天気予報で晴が出ていても レインウェアは必須です。また、防寒着としても使えます。 セパレートタイプの通気性と防水性を兼ね備えたゴアテックスがベストです。 |
帽子 | 必須 K1ピークからの稜線に上がると直射日光が強烈に降り注ぎます。 日よけ用のつばが広く軽いものをお奨めします。寒さが厳しいときは、耳を覆うニット製、冬山ではフルフェイスタイプをお奨めします。 |
日焼け止め | 必須 霞沢岳はK1ピーク(標高2,475m)を超えてからは 日光を遮る木々が少なくなります。森林限界を超えると紫外線が強いので必帯です。 |
飲料水 | 必須 天気の良い日は少し多めに持って行きましょう。 徳本峠小屋と霞沢岳の往復のコースタイムは約7時間ほどで、途中水場がないため小屋で十分な量の水を確保して出発することをお勧めします。 |
ヘッドランプ | 必須 夜になると電気を落としてしまう山小屋もあります。そんな時トイレに行くのが不自由です。また、暗い内から山頂まで登り、御来光を拝むためにも必要です。 |
行動食 | 必須 霞沢岳は登山行程が長いため、やや多めの行動食を持っていくことが重要です。パン・ナッツ類・野菜ジュース、飲むヨーグルトなど立ち休憩で食べられるものがお薦めです。 |
パックカバー | 必須 ザックが濡れないようにするためのザックカバーは雨に日には絶対必要です。ザックカバーも雨衣と同様に防水性が衰えてきます。 時折、防水スプレーをするなどのメンテナンスが必要です。 |
救急薬品 | 必須 切り傷、擦り傷にカットバン、絆創膏を持っていくと良いでしょう。虫刺され薬品も。登山行程が長く体力を必要とするところが多いので、 トクホンのような筋肉痛に効く貼り薬。 |
ティッシュペーパー | 必須 登山中いきなりしたくなってしまった場合など、万が一の時のために必帯です。ポケットティッシュを水で濡らし耳栓として使う場合にも有効です。 |
防寒着 | 必須 薄手のフリース,セーター、軽いダウンジャケット。 槍ヶ岳山頂では、7~8月でも最低気温が3度ほどに下がることがあります。 軽くて保温性の高いものを選びます。ゴアテックスのレインウェアを その上に着ると更に保温性が高まります。 |
手袋 | 必須 鎖場や岩場で、三点支持で登る時に使います。革製の手袋がベストですが、軍手でもOKです。 |
耳栓 | あったら良い 霞沢岳の登山では徳本峠小屋に一泊するのが一般的です。山小屋では大部屋が基本です。就寝時に いびきをかく人が必ずいます。耳栓の効果は絶大です。 |
カメラ | あったら良い 山旅の思い出にぜひどうぞ。穂高岳の大パノラマを写真に残しておく価値は十分にあります。ウエストポーチに収納出来る大きさであることが望ましいです。 |
ビニール袋 | あったら良い ごみ入れとして、使用前の下着入れ、使用後の下着入れとして7~8個あると便利です。 |
保険証(コピー) | あったら良い 事故や遭難時に必要です。 |
シュラフカバー | あったら良い 遭難時や混雑している山小屋(一つの布団に2人)で役に立ちます。毛布2枚を床に敷きゴアテックス製のシュラフカバーに入ります。 |
三木秀綱奥方の遺跡
二俣から少し進んだ島々谷南沢に「三木秀綱奥方の遺跡」があります。
戦国時代に飛騨・松倉城主、三木秀綱の奥方(お腹に子供を宿していた)は、残党狩りから逃れるため、上高地から徳本峠を越えて来ましたが、島々谷辺りで地元の杣人に殺害されてしまいます。
ということは、戦国時代には既に、このルートが開通していたということなのですね。
※ 戦国武将の飛騨・松倉城主、三木秀綱については、中尾高原から焼岳のページに記載しています。