目次

五色ヶ原から立山室堂ルート地図

  • 距離6.7km
  • 登り667m
  • 下り714 m

五色ヶ原から立山室堂ルートの難易度

難易度  3/10

ルート五色ヶ原山荘(標高2490m)⇒ザラ峠(標高2348m)⇒
獅子岳(標高2741m)⇒鬼岳(標高2750m)⇒
龍王岳(標高2872m)⇒浄土山(標高2831m)⇒
室堂山(標高2668m)⇒立山室堂バスターミナル(標高2450m)

五色ヶ原から立山室堂ルートの体力

体力  1/10  泊

飲料水必要量5Kgの荷物を背負う場合
体重45kgの人:0.98リットル、体重60kgの人:1.24リットル、体重75kgの人:1.50リットル
消費カロリー5Kgの荷物を背負う場合
体重45kgの人:1.728Kcal、体重60kgの人:2.216Kcal、体重75kgの人:2.704Kcal
燃焼脂肪量5Kgの荷物を背負う場合のダイエット効果
体重45kgの人:0.253kg、体重60kgの人:0.322g、体重75kgの人:0.392kg

コースタイム

  • 五色ヶ原→立山室堂 3時間50分

山小屋

山小屋太郎平小屋 薬師岳山荘 スゴ乗越小屋 五色ヶ原山荘、 一ノ越山荘、 雷鳥沢ヒュッテ、立山ホテル、ミクリガ池温泉雷鳥荘 立山室堂山荘、ロッジ立山連峰
登山口までのアクセス扇沢までのアクセスの詳細はこちら

アクセス

参照:折立~薬師岳~五色ヶ原

薬師岳
折立から薬師岳
折立から薬師岳
薬師岳
折立~薬師岳~五色ヶ原縦走
薬師岳から五色ヶ原縦走

五色ヶ原から立山室堂ルート

五色ヶ原山荘から出発

五色ヶ原山荘から出発
折立登山口から薬師岳経由で五色ヶ原の続きです。標高2500mの五色ヶ原山荘から出発します。1979年(昭和54)に2階建てに建て替えられました。宿泊には主に2階の和室は使われ、窓からは針ノ木岳がよく見えます。

五色ヶ原の木道

五色ヶ原の木道
池塘が点在する五色ヶ原から立山に向け木道を歩きます。登山ルートは右手のピーク(獅子岳)を急登します。広大な溶岩台地の上に広がる草原地帯の五色ヶ原は、例年7月まで多くの残雪があり、雪解けと共にハクサンイチゲ、チングルマなど多くの高山植物が百花繚乱のお花畑になり、まさに、天上の楽園です。

五色ヶ原山荘と鳶山、鷲山

五色ヶ原山荘と鳶山、鷲山
木道を少し歩いた所から五色ヶ原山荘振り返る。例年、9月になっても、山荘の背後の山(鳶山、鷲山)の山腹に多くの雪渓が残ります。今年は僅かに残るのみで、水の確保に苦労している様です。とは言え、飲み水は無料で宿泊者ばかりではなくテント泊の人々にも供給されています。

ザラ峠への下りと獅子岳

ザラ峠への下りと獅子岳
ザラ峠へ一気に落ち込んでいます。立山カルデラの縁に沿って木道が付けられています。ザラ峠からの登り返しでは、獅子岳の斜面にジグザグに登山道が刻まれているのが見えます。中央奥に聳えるのが立山の雄山です。登山道は、獅子岳に登り、左手方向の小さなコブ(鬼岳)の東側の斜面をトラバースし、その左手の龍王岳の山腹を西側から巻く様に付いています

立山カルデラの縁に沿って下る

立山カルデラの縁に沿って下る
立山カルデラの縁に沿うようにザラ峠に向かい下ります。ロープが付いているのは、進入禁止を示しています。写真撮影に気を取られて踏み出すと滑落してしまうリスクがあるからです。

ザラ峠

ザラ峠
標高2348mのザラ峠。古くから、立山連峰横断の古道が通っていたと言われています。織田信長の武将であった富山城主の佐々成政は、グレゴリオ暦に換算すると、1585年1月25日の厳冬季に浜松の徳川家康の元を訪れたと記録に残ります。

ザラ峠から黒部川方面

ザラ峠から黒部川方面
ザラ峠から黒部川方面を撮影。古道は、中ノ谷を黒部川まで下り、現在平ノ小屋がある場所から黒部川を渉り、針ノ木谷を遡行して針ノ木峠を越え、針ノ木大雪渓を下って扇沢、信濃大町へと出るルートです。当時は、黒部ダムがなかったので容易に黒部川を渡ることが可能でした。現在、この古道を辿る道は廃道となっていますが、上級者なら歩けないわけでも無さそうです。

立山カルデラの外輪山

立山カルデラの外輪山
ザラ峠から富山県側を撮影。常願寺川の源頭部を大きく立山カルデラの外輪山が取り囲んでいます。富山県側からの古道は、岩峅寺から弥陀ケ原へ出て、常願寺川を遡り、立山温泉を経てザラ峠に至るルートでした。

獅子岳への急登

獅子岳への急登
標高2348mのザラ峠から標高2741mの獅子岳まで標高差で393mの急登です。前半は、ハイマツ帯に刻まれた九十九折のザレ

立山カルデラの縁の雷鳥

立山カルデラの縁の雷鳥
立山カルデラの縁に生息している雷鳥です。御嶽山や乗鞍岳を含む北アルプス全域と南アルプスに合計で約3000羽確認されています。絶滅危惧種に指定され、種の保存のため信州大学の教育学部理数科学教育専攻理科教育分野の中村浩志教授のグループでは様々な取り組みを行っています。

獅子岳の中腹

獅子岳の中腹
獅子岳の中腹では、ハイマツ帯が途切れ、高径草原の中をジグザグに登ります。浮石が多く、このルートを南下で使う場合にはスリップや転倒に注意が必要な場所です。

獅子岳上部

獅子岳上部
獅子岳上部の急斜面になると岩場が連続します。写真上部の岩場に梯子と鎖場があります。

ガレ場の急登

ガレ場の急登
ガレ場を急登し、右手側に回り込んだ岩場に梯子と鎖場の急斜面が待っています。

15段の梯子

15段の梯子
15段の梯子です。斜度は45°ほどで高度感はあまり感じません。梯子を登ると直ぐに連続して梯子が出てきます。

二段目の梯子

二段目の梯子
二段目の梯子登った所から振り返る。二段目の梯子は7段ほどで短いのですが、斜度は70度ほどあります。

短い鎖場

短い鎖場
二段目の梯子を登り、短めの鎖場が続きます。この辺りが、このルートの核心部と言えます。さほどの高度感は無いので初心者でも容易に越える事が出来ると思います。

鎖場を見下ろす

鎖場を見下ろす
鎖場を登り切った所から振り返って撮影。鎖場の上部の傾斜は緩くなっています。

鎖場を抜けると緩斜面

鎖場を抜けると緩斜面
鎖場を抜けると傾斜が緩み、ハイマツ帯の中を登ります。

中ノ谷

中ノ谷
前写真の位置から黒部湖側を撮影。深くえぐられた谷が中ノ谷です。この谷にザラ峠越えの古道が通っていました。溶岩台地状の地形になった所が五色ヶ原で、その奥に薬師岳が聳えています。その左手に黒部五郎岳などもよく見えます。

ザラ峠と五色ヶ原

ザラ峠と五色ヶ原
前写真の位置から五色ヶ原を撮影。小さく五色ヶ原山荘が確認出来ます。眼下にザラ峠があり、大きく崩壊した立山カルデラの縁に沿って登山道が見えています。右手の小高い山が鷲岳、その左手が鳶山です。そしてその遠景に薬師岳が聳えています。

五色ヶ原の先に薬師岳

五色ヶ原の先に薬師岳
前写真の位置から五色ヶ原を望遠で撮影。五色ヶ原山荘の奥の山が鳶山で、その麓に僅かに雪渓が認められます。鳶山から越中沢乗越まで一旦下り、その左手に登り返した所が越中沢岳です。そして大きな山体を横たえ存在感を示すのが薬師岳です。

緩斜面の岩場

緩斜面の岩場
大小様々な岩がゴロゴロした所ですが、傾斜が緩んでいるので安心して登っていけます。

東側を巻く

東側を巻く
獅子岳のピークに至るまでに二つの小さなコブがありますが、それらは東側を巻きながら進みます。

獅子岳手前の小さなコブ

獅子岳手前の小さなコブ
獅子岳手前の小さなコブの東側には岩場の通過があります。谷側の傾斜は緩いので、高度感はありません。

獅子岳

獅子岳
更に傾斜が緩み、緩斜面を進んだ先が獅子岳です。獅子岳の裏側に立山の一角が見えて来ました。

獅子岳から望む龍王岳と立山雄山

獅子岳から望む龍王岳と立山雄山
獅子岳山頂から望む龍王岳(左手)とその手前に小さなコブ状の鬼岳、そして右手中央に立山雄山。雄山の山頂に雄山神社社務所の建物も見えています。

獅子岳から下る

獅子岳から下る
獅子岳から下ると、ハイマツ帯の中を伸びる登山道が、鬼岳の東側(右手側)を巻く様に伸びているのが見えます。

鬼岳

鬼岳
獅子岳と鬼岳の鞍部の木道を進みます。登山道は、鬼岳手前で右手に折れ、鬼岳東側の稜線に登り上げています。

鬼岳の東側はやや傾斜のきつい岩場

鬼岳の東側はやや傾斜のきつい岩場
鬼岳の東側の稜線に上がる直前は、やや傾斜のきつい岩場になっています。

鬼岳から獅子岳

鬼岳から獅子岳
鬼岳東側の稜線に上がった所から振り返って獅子岳を撮影。獅子岳の山頂部では小さなピークをいくつか作っているのが確認出来ます。又、この辺りの斜面は見事なお花畑が広がり、雪渓が溶けると共にミヤマキンポウゲ、クルマユリ、ハクサンイチゲ、ヨツバシオガマなどが可憐な花を咲かせます。

鬼岳東面の大岩壁

鬼岳東面の大岩壁
鬼岳の東面は、日本百名山の著者深田久弥が天空の大伽藍と称賛した黒部五郎岳の大岩璧が連想されます。

鬼岳東面の岩壁基部を巻く

鬼岳東面の岩壁基部を巻く
鬼岳東面を形成する岩壁がそそり立った基部を巻きながら登って行きます。登るにつれ傾斜が増します。例年、夏山の早い時期には残雪が残ることもあり、フィックスロープも設置されています。雪渓を歩くのに慣れた登山者ならアイゼンは必要ありません。

鬼岳東面の梯子

鬼岳東面の梯子
鬼岳東面の基部を巻いた上部には梯子が架けられた急斜面です。この岩場を登り上げれば、緩斜面になります。

草付きの緩斜面

草付きの緩斜面
草付きの緩斜面を登った所で、正面に龍王岳が見えてきます。

龍王岳

龍王岳
龍王岳の東側の大岩璧が登山者の行く手に立ちはだかります。登山道は、山頂には登らず左手側を巻く様になっています。右手側に見えるピークは立山・雄山です。龍王岳主峰南陵リッジ群の中央の大きなバットレスC稜に取り付くクライマー数名のパーティーがいました。

龍王岳と鬼岳の鞍部

龍王岳と鬼岳の鞍部
龍王岳と鬼岳の鞍部から望む。登山道は、草付きの斜面をジグザグに左手上方に伸びています。

龍王岳の南側を巻く

龍王岳の南側を巻く
龍王岳の南側を巻きながら登って行きます。登山道はザレてスリップしやすいので、このルートを南下で使う場合には転倒に注意が必要です。

龍王岳の南側中腹の岩場

龍王岳の南側中腹の岩場
龍王岳の南側中腹で岩場に変わります。スタンスは豊富で、斜度は比較的緩いので問題無く登れます。

龍王岳中腹から立山カルデラ、五色ヶ原、薬師岳

龍王岳中腹から立山カルデラ、五色ヶ原、薬師岳
前写真の位置から鬼岳を振り返る。右手側に立山カルデラが落ち込み、その先に溶岩台地の五色ヶ原、そして遠景に薬師岳が見えています。

立山カルデラの全景

立山カルデラの全景
立山カルデラの全容。立山カルデラは、北側から天狗山、国見岳、室堂山、浄土山、龍王岳、鬼岳、獅子岳、鷲岳、鳶山が外輪山となり、常願寺川の源流部を取り囲んでいます。

龍王岳の西面

龍王岳の西面
龍王岳の西面まで登ると、傾斜が一気に緩み、正面に丸い山頂の浄土山が見えてきます。

龍王岳と浄土山の鞍部

龍王岳と浄土山の鞍部
龍王岳と浄土山の鞍部まで登り振り返る。龍王岳の山頂へは、登山道が付いているので、ここからピストンすることが出来ます。

浄土山南峰の富山大学立山研究所

浄土山南峰の富山大学立山研究所
浄土山南峰に建つ富山大学立山研究所。右手はベンチのある展望広場になっていて、立山室堂から雄山を目指す登山者の絶好の休憩ポイントになっています。

浄土山南峰から雄山

浄土山南峰から雄山
浄土山南峰から雄山を写す。鞍部に一ノ越山荘が建ち、そこを左手に下れば立山室堂へのルートが分岐しますが、今回は浄土山北峰を経由して立山室堂に下ります。どちらを通ってもさほどのコースタイムの差はありません。

浄土山北峰へ

浄土山北峰へ
浄土山北峰に向かいます。浄土山北峰の頂上に、日露戦争に従軍して戦死、戦病死された富山県人2595柱を合わせ祀った「軍人霊碑」が建立されています

立山・雄山と剱岳

立山・雄山と剱岳
浄土山南峰と北峰との稜線から立山・雄山と剱岳を写す。

浄土山北峰

浄土山北峰
浄土山北峰から左手側に下って行きます。浄土山の奥に剱岳が聳えます。

立山室堂バスターミナルと大日岳

立山室堂バスターミナルと大日岳
立山室堂のバスターミナルが見えて来ました。右手にミクリガ池、遠景に大日岳です。

厳冬の立山を横断した戦国武将佐々成政

ザラ峠

ザラ峠
ザラ峠

五色ヶ原と獅子岳との鞍部にザラ峠があります。写真左手側が富山県を流れる常願寺川の源頭部、右手側に下ると黒部川へ至ります。正面の山が獅子岳です。そしてその奥に立山・雄山があります。

ザラ峠から望む立山カルデラ

ザラ峠を通る古道

標高2348mのザラ峠を通る古道があったといいます。越中から富山平野を流れる常願寺川を遡り、立山温泉、新湯を経てザラ峠に至り、黒部川に下って黒部川を渡り、針ノ木谷を遡行し針ノ木峠を越えて針ノ木雪渓を下り、扇沢へ抜け、信州に至るルートでした。

当時は黒部ダムがなかったため、現在のように黒部湖は無く、黒部川を容易に渡れたものと思われます。

ザラ峠を戦国武将・佐々内蔵助成政(さつさくらのすけなりまさ)らの一行が、厳冬期の12月上旬から中旬にかけて超えたというのです。グレゴリ歴では1月の下旬に相当し、1年の中でも最も風雪の厳しい時期ということになります。

佐々成政は、織田信長の家臣であり、軍功により越前府中を賜り、後に越中富山城主となっています。

「本能寺の変」で信長が急死すると、豊臣秀吉が政治的力を持つようになってきます。成政は、徳川家康が信長の次男信雄を立てて秀吉に対抗したことに呼応しますが、秀吉が信雄と講和したため、家康は兵を率いてしまいます。そこで成政は、家康に再び秀吉と対抗させようと説得するためにこの行軍が決行されたというのです。

成政一行が越中富山から信州に出て浜松の家康のもとに赴いたことは、「家忠日記」や「当代記」などに記載があることから間違いありません。 しかし、厳冬期の北アルプスを横断することは、現在の装備をもってしても難しいと言わざるを得ません。ましてや、400年以上前、登山に素人の集団が、ザラ峠を超えたとは信じがたく、九州大学教授の服部英雄(1997年9月号、佐々成政「ザラ超え」の真実)は、立山のザラ峠ではなく、鎌倉街道のザラ峠、すなわち安房峠ではなかったのかという説を出しています。

もしそうだとすれば、成政の立山越えは伝説に過ぎないと言うことになりますが、果たして真相はいかに?

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日本アルプス登山ルートガイド
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