木曽駒ヶ岳とは

木曽駒ヶ岳は中央アルプス(木曽山脈)の北部に位置し、その最高峰で、標高は2,956mです。日本百名山の一つにも数えられています。宝剣岳・中岳・伊那前岳を含めて、山域の総称を木曽駒ヶ岳と呼ぶ場合もあります。

木曽駒ヶ岳へ最短で登れる登山口は千畳敷が起点となります。JR飯田線駒ヶ根駅から通年運行の登山バスが、昭和42年に完成した中央アルプス駒ヶ根ロープーウェイの始発駅であるしらび平らに通じています。

マイカーの場合には菅ノ台バスセンターの駐車場に車を停め、登山バスに乗ります。夏期の混雑シーズンには菅ノ台バスセンターを始発とするバスが増便されます。

菅ノ台バスセンターは中央高速の駒ケ根ICから3分と東京や名古屋からのアクセスが良く、山頂までのアプローチが短いことなどから多くの登山者や観光客が訪れています。

目次

木曽駒ヶ岳の地図

木曽駒ヶ岳の山小屋

中央アルプスの山小屋
西駒山荘
西駒山荘

木曽駒ヶ岳のアクセス

中央アルプス登山口-アクセスと駐車場
中央アルプス駒ヶ根ロープーウェイのアクセスと駐車場
中央アルプス駒ヶ根ロープーウェイのアクセスと駐車場

木曽駒ヶ岳の登山コース概要

千畳敷から木曽駒ヶ岳ルート

八丁坂を登り乗越浄土を目指す
八丁坂を登り乗越浄土を目指す

中央アルプス駒ヶ根ロープーウェイ終点駅ともなっているホテル千畳敷から外に出ると、千畳敷カールと呼ばれる六万年前と二万年前に氷河の力で削られたお碗型の地形が広がります。

※カールの末端に、氷河による削り屑で出来た高まりを「モレーン」と呼びます。ロープウェイの千畳敷駅はモレーン上に建てられています。
千畳敷カールは高山植物の宝庫で、初夏から夏にかけて可憐な花を咲かせます。千畳敷カール内には約40分で周回できる遊歩道が整備されています。

誰でも気軽に上がれる千畳敷はすでに森林限界を越え、その標高は2,650mと高く、千畳敷の背後に屏風の様に峻立する宝剣岳の岩稜景観は見事です。

典型的なカール地形の千畳敷カールは初夏になると数多くの高山植物(タカネグンナイフウロ、クロユリ、ハクサンイチゲ、ヒメウスユキソウなど)が咲き乱れます。特に、数年に一度、一斉に開花するコバイケイソウが作り出す高茎草原は見事です。

千畳敷から良く整備された登山道を登り乗越浄土を目指します。 八丁坂の指導標があるところで遊歩道からの道を合わせると、乗越浄土の稜線までジグザグで急峻な登りが続きます。

乗越浄土は多くの登山者が休憩する平たんな広場です。 登山道は乗越浄土で分岐し、左方向は宝剣岳、右方向が木曽駒ケ岳です。

乗越浄土に建つ宝剣山荘の裏を通り抜け、中岳へ向かう緩い登りの周辺には、ロープで立ち入りを制限されたコマクサの群生が広がっています。大きなケルンを過ぎると中岳山頂に立ちます。 中岳から初めて木曽駒ケ岳の全容が望めます。中岳から駒ヶ岳頂上山荘が建つ鞍部に下り、登り返すと木曽駒ケ岳山頂です。

木曽駒ケ岳の山頂は平坦で広い所です。山頂までのコースタイムは僅か2時間足らずと短い為、登山初心者にはうってつけです。

コースタイム

  • 登山:中央アルプス駒ヶ岳ロープウェイ千畳敷駅→木曽駒ヶ岳 2時間
  • 下山:木曽駒ヶ岳→中央アルプス駒ヶ岳ロープウェイ千畳敷駅 1時間40分

難易度 1/10

体力  1/10

宝剣岳ルート

宝剣岳の鎖場
宝剣岳の鎖場

宝剣岳は、千畳敷カールで中央アルプス駒ケ岳ロープウェイを降り、左に進み極楽平から登る時計回りのルートと右へ進み千畳敷カールから乗越浄土を経由して行く反時計回りのルートがあります。

宝剣岳を通過するルートは、昭文社の「山と高原地図」ではバリエーションルート扱いになっていますが、登山道はしっかり整備され、鎖や足場用の金属製ステップが設置され、とくに危険を感じる場所はありません。又、岩場は硬い花崗岩で出来ているため、落石の危険はほとんどありません。

左側から入るルート(時計回り)は、千畳駅から30分ほどで中央アルプスの主稜線上にある極楽平に到着します。「遭難の碑」を超えたあたりから核心部となり両脇がスパッと切れ落ちた稜線の通過は高度感があり幅も狭いため、緊張を強いられます。

その後、小ピークをいくつか越え10mほどのほぼ垂直な壁が次の難所です。しかし、ホールドやステップがしっかりとあり、あまり難しくありません。宝剣岳山頂まで鎖場は続きますが高度感はあまりなく、難易度はそれほど高くありません。

山頂は狭く数名が休める程度の広さです。 山頂から宝剣山荘までの下りは鎖場になっていますが、高度感や傾斜は緩く、難なく下りることができます。

コースタイム

  • 中央アルプス駒ケ岳ロープウェイ千畳敷から宝剣岳周回 2時間30分

難易度 5/10

体力  1/10 日帰り

桂小場から木曽駒ヶ岳へのクラシックルート

将棋頭山から右手方向には馬ノ背のの稜線が伸び、馬ノ背の頭、その右に木曽駒ヶ岳
将棋頭山から右手方向には馬ノ背の稜線が伸び、馬ノ背の頭、その右に木曽駒ヶ岳

伊那市北部から中央アルプスを望むと将棋の駒の様な形の山が目を引きます。将棊頭山です。伊那市荒井内の萱から「桂小場ルート(西駒登山ルート)」を登り、木曽駒ヶ岳へ至る通過点に当たる山です。

将棊頭山から馬ノ背の広い稜線を登り木曽駒ヶ岳へ至るこのクラシックルートは、西暦1913年(大正2年)8月に中箕輪尋常高等小学校高等科の大量遭難があった所としても知られています。

現在でも中学生による集団登山が行われることで、よく整備された歩きやすい登山道です。 サントリービールの寄付により伊那市が整備しています。

登山口である桂小場へは公共交通機関が無いため、 JR伊那市駅からタクシーとなります。登山口には30台ほど止められる駐車場があるのでマイカーでのアクセスが便利です。

カール底に出来た中央アルプスの氷河湖である濃ヶ池は神秘的な雰囲気が漂い、高山植物も豊富な所なのでぜひ訪れたいものです。濃ヶ池と駒飼ノ池間は7月下旬まで雪渓のトラバース箇所があり、登山靴のみの通過は危険なので最低でも軽アイゼンを携帯することをお勧めします。

山頂までの標高差が1700メートルを超えるので、日帰りは健脚者のみの領域です。途中にある西駒山荘か木曽駒山頂周辺の山小屋に泊まる一泊2日の行程が適当です。また、中央アルプス駒ヶ岳ロープウェイ千畳敷駅へ下山すれば日帰りは容易です。

コースタイム

  • 登山:桂小場→馬ノ背→木曽駒ヶ岳 4時間50分
  • 下山:木曽駒ヶ岳→中央アルプス駒ヶ岳ロープウェイ千畳敷駅 1時間30分

難易度 1/10

体力  3/10 日帰り

北御所登山口から伊那前岳ルート

伊那前岳近くの坂本天山の四言古詩が刻まれた副碑
伊那前岳近くの坂本天山の四言古詩が刻まれた副碑

北御所登山口へは、バスかタクシーのアクセスになります。中央アルプス駒ヶ岳ロープウェイの駅がある「しらび平」に通じる駒ヶ根駒ヶ岳公園線は、駒ヶ根高原黒川平にゲートがあり、これ以上マイカーでは入れません。

菅ノ台バスセンター周辺には1,000台を超える駐車場がありますが、黒川平にも広い駐車場があります。駐車場前にバス停がありバスの乗降は可能です。

シャトルバスを下車し、北御所登山口から中部電力によってしっかり整備されている林道を蛇腹沢登山口まで歩きます。 蛇腹沢登山口から針葉樹林帯の急登です。途中の清水平に水量豊富な湧水が出ているので、水筒を一杯にします。

五合目・うどん屋峠の稜線へは登山口から約2時間のコースタイムです。うどん屋峠から90度西に向きを変え、尾根を登りコンスタントに高度を上げて行きます。 そして、七合目の船窪で森林限界を超え、背の低いハイマツ帯の登りに入ります。

8合目には修験道の歴史を感じさせる石碑と小祠が祀られています。八合目から10分ほどで伊那前岳の山頂に立ちます。山頂から200メートルほど進んだ所に勒銘石があります。その石には江戸時代の高遠藩の藩主・天山の詩が刻まれています。

勒銘石から乗越浄土まで15分ほど足らずの距離です。中央アルプス駒ヶ岳ロープウエーを使って木曽駒ヶ岳に登った場合、伊那前岳に立ち寄ったとしても往復40分ほどのコースタイムなのでお薦めです。

コースタイム

  • 登山:北御所登山口→伊那前岳 4時間05分
  • 下山:伊那前岳→中央アルプス駒ヶ岳ロープウェイ千畳敷駅 55分

難易度 1/10

体力  2/10 日帰り

⑤ 千畳敷駅から濃ヶ池ルート

濃ヶ池に投影される逆さ宝剣
濃ヶ池に投影される逆さ宝剣

濃ヶ池カールの底に出来た中央アルプス唯一の氷河湖である濃ヶ池は神秘的な雰囲気が漂い、高山植物も豊富な所なのでぜひ訪れたいものです。濃ヶ池と駒飼ノ池間は7月下旬まで雪渓のトラバース箇所があり、登山靴のみの通過は危険を伴います。

コースタイム

  • 登山:中央アルプス駒ヶ岳ロープウェイ千畳敷駅→濃ヶ池 1時間35分
  • 下山:濃ヶ池→中央アルプス駒ヶ岳ロープウェイ千畳敷駅 1時間35分

難易度 2/10 残雪期

体力  1/10

⑥ 冬季・千畳敷から木曽駒ヶ岳ルート

雪の千畳敷カールを登る
雪の千畳敷カールを登る

冬季には登山バスと駒ヶ根ロープウェイ共に、一時間間隔で運行されています。 1月13日時点に於いて千畳敷の積雪量は2,5mです。 この日はワカンを使う必要がなく、壺足でも踏み抜くこともなく快適に歩けました。

木曽駒ヶ岳山頂往復の行程は約3時間足らずと少ないのですが、決して冬山登山初心者向きとは言い難いルートです。特に乗越浄土の直下が危険箇所で、八丁坂上部は傾斜が強く12本歯のアイゼンとピッケルは絶対必要です。

夏期の乗越浄土へはジグザグに切られた良く整備された登山道のため、いたって簡単で、登山者ばかりではなく大勢の観光客さえを目にします。しかし、冬季のルートは一直線上に登り上げるため滑落の危険を伴います。過去に夏に行った経験から軽く考えて臨むと事故に繋がりかねない所です。

乗越浄土に飛び出すと、世界有数の強風地帯とも言われ強烈な季節風にさらされることが多く、それまでの汗をかくほどのポカポカ陽気が一変します。

冬季営業を休止している宝剣山荘と天狗荘の脇を抜け、中岳に向かいます。 季節風により雪の斜面はアイスバーン状態になっている所が随所にあります。

中岳山頂から駒ヶ岳頂上山荘の建つ鞍部に下ります。特にここの斜面はアイスバーン状態が強い為、慎重に行動します。 鞍部から登り返すと木曽駒ヶ岳山頂です。

山頂からの展望は最高で、雪山を満喫できます。宝剣岳から空木岳へと連なる中央アルプスの主脈、どっしりと構えた 御嶽山、さらに遠くには南アルプス・八ヶ岳の全容などが望めます。天候を選んで登れば、冬山中級コースとして最適です。

コースタイム

  • 登山:中央アルプス駒ヶ岳ロープウェイ千畳敷駅→木曽駒ヶ岳 2時間
  • 下山:木曽駒ヶ岳→中央アルプス駒ヶ岳ロープウェイ千畳敷駅 1時間20分

難易度 3/10 冬季

体力  1/10

木曽駒ヶ岳の日帰り登山は出来る?

桂小場登山口から木曽駒ヶ岳へ登るクラシックルートは、山頂までの標高差が約1,700メートルあり、コースタイムは往復で約10時間です。従って日帰りは健脚者のみの領域です。途中の西駒山荘か木曽駒山頂周辺の山小屋に泊まる一泊2日の行程が適当です。

一方、中央アルプス駒ヶ岳ロープウェイを使い、千畳敷から木曽駒ヶ岳へ登るルートでは、コースタイムが往復で4時間未満と少なく、登山初心者でも日帰りは容易です。

木曽駒ヶ岳の登山口近くの温泉

露天こぶしの湯

露天こぶしの湯

日帰り入浴施設の「露天 こぶしの湯」は、早太郎温泉の「アルカリ性単純泉」です。

内湯・露天風呂(岩風呂/檜風呂/サウナ/水風呂)

利用料 大人 750円・小人(小学生) 500円
営業時間 11:00~22:00 ※入館締切21:00
休館日 木曜日 ※祝祭日は営業

シャトルバスの発着場になっている菅の台バスセンターから3.1 kmで車で6分です。

木曽駒ヶ岳の天気の特徴

快晴の木曽駒ヶ岳
快晴の木曽駒ヶ岳

木曽駒ヶ岳は晴天の確率が比較的低い

中央アルプスの北部に位置する木曽駒ヶ岳の山域は、日本海側特有の冬型気候の影響を受けにくいため積雪量はさほど多くありません。

通年営業の中央アルプス駒ヶ岳ロープウェイが運行されています。夏山登山シーズンはややガスが入りやすい特徴があります。

6月から7月の梅雨明けまでは晴天の確率は低いですが、梅雨開けと共に晴天がしばらく続きます。また、秋も比較的晴天に恵まれます。しかし、10月上旬で初冠雪を見る年もあり、雨天だけではなく、強風などにも天候には十分な注意が必要です。

山の天気予報は難しい
山の天気予報は難しい

お薦めの天気予報

テレビで流れる天気予報やネットで得られる無料の天気予報は、一般的に平地を対象としたものです。 そのため、晴れの天気予報が出ていても、山ではガスってしまうことはよくあることです。 

そこで、おすすめなのがtenki.jpの有料バージョン(+more)です。これは、月間100円と安いですが、高層天気の予報のため精度が高いです。また、山の天気予報(月額300円)を併用すると更に精度が高まります。

木曽駒ヶ岳の魅力

天狗荘の西側にコマクサの試験増殖地

天狗荘の西側にコマクサの試験増殖地があり、多くのピンク色の花を咲かせるまでになっています。

木曽駒ヶ岳に咲く数々の高山植物

木曽駒ヶ岳の名前の由来となった「駒」の雪形

長野県史跡・御殿場遺跡から木曽駒ヶ岳の雪形

農業が産業の重要な位置を占めていた頃から、山麓の人々は4月下旬から5月中旬にかけて山腹に現れる雪形を見て農事の目安としていました。駒の雪形は例年なら5月中旬か6月上旬にかけてくっきりとしてきますが、今年は1週間ほど早く見頃を迎えている様です。

木曽駒ヶ岳・中岳の東側に「駒飼の池」という山上湖があります。中岳山頂をしっぽにして頭を下げてこの水を飲んでいる様に見える「黒駒」の雪形が名前の由来とされています。

山麓に住む人々の間で、山に住む神様がこの馬に乗って麓の村に降りてきて、春の訪れを告げると語り継がれて来ました。伊那地方の人々は、親しみを込めて木曽駒ヶ岳のことを「伊那駒」「伊那駒ヶ岳」「西駒ヶ岳」などと呼んでいます。

さらに雪形で有名なのが「島田娘」です。宝剣岳の南の稜線上に島田娘という地名があります。ちょうどその東斜面に、高島田の様な髪型を結った娘が左を向いた姿が五月連休明けになると現れます。

駒ヶ岳に旧国名を冠して呼称する山は日本全国に存在します。例えば、南アルプスの甲斐駒ヶ岳、東北地方の会津駒ヶ岳、秋田駒ヶ岳、越後駒ヶ岳など名だたる山々が勢ぞろいします。 「駒」と名が付く山は、残雪期に馬の雪型が山腹に現れることで命名される事がほとんどです。

撮影:5月19日 長野県史跡・御殿場遺跡にて、 伊那市富県北福地7359-7386

木曽駒ヶ岳の紅葉

木曽駒ヶ岳で紅葉が綺麗な場所は、馬の背の南側斜面の駒ヶ池周辺と伊那前岳北側斜面、千畳敷カールなどです。

風食ノッチ

木曽駒ヶ岳の南西斜面に出来た「風食ノッチ」
木曽駒ヶ岳の南西斜面に出来た「風食ノッチ」

木曽駒ヶ岳の南西斜面では吹き続ける強風によって「風食ノッチ」と呼ばれる現象が起きています。これは、特に強い風が吹くところで起き、土が吹き飛ばされてハイマツなどの根が剥き出しになる現象です。世界的に見ても珍しいと言えます。

花崗岩を砕く凍結破壊作用

宝剣岳山頂部の花崗岩が凍結破壊作用で砕かれる
宝剣岳山頂部の花崗岩が凍結破壊作用で砕かれる

氷河時代は現在よりもはるかに気温が低い時代でした。花崗岩の岩の割れ目に水分が入り込み、それが凍ってくさびの作用により花崗岩を砕きました。現在では見られない厳しい自然現象です。凍結破壊作用は宝剣岳周辺や宝剣岳から木曽駒ヶ岳へのトラバース道で確認出来ます。

各種情報

木曽駒ヶ岳登山ツアー

  • 木曽駒ヶ岳|登山・トレッキングツアー

観光協会

登山届提出

長野県長野県警察本部地域部山岳安全対策課 電話:026-233-0110
長野県のホームページ

登山地図のスマホアプリ

  • 山と高原地図のスマホアプリ
    昭文社から販売されています。山と高原地図ホーダイ - 登山地図ナビアプリ 定額(500円/月 or 4800円/年)で61エリアの「山と高原地図」が使い放題。山と高原地図[地図単品購入版]地図1エリア 650円。

木曽駒ヶ岳山頂周辺の気温

最高気温平均気温最低気温
1月-8.2-13.9-19.6
2月-6.7-12.8-18.9
3月-1.4-8.5-15.7
4月4.3-2.7-9.7
5月9.02.6-3.3
6月12.06.41.7
7月15.29.95.7
8月16.710.66.5
9月12.46.72.2
10月6.60.3-4.1
11月0.5-5.1-11.1
12月-5.2-10.2-16.5

木曽駒ヶ岳へ登るための装備と服装

軽アイゼン12本歯アイゼンピッケルサングラステント
1月×
2月×
3月×
4月×
5月×
6月×
7月×××
8月××××
9月××××
10月××××
11月××××
12月
必須:◎ あった方が良い:○ あったら良い:△ 必要ない:× 

アイゼンは濃ヶ池に行く場合です。

服装や装備品のチェックリスト

登山地図必須 登山地図を忘れると道迷いの原因に!夏山の千畳敷カールから木曽駒ヶ岳ピストンなら必ずしも必要はありませんが、その他のルートを歩く場合、木曽駒ヶ岳はいたるところに分岐があります。 登山地図を持って行かないのは命取りと言えます。
レインウェア必須 山の天候は急変します。天気予報で晴が出ていても
レインウェアは必須です。また、防寒着としても使えます。
セパレートタイプの通気性と防水性を兼ね備えたゴアテックスがベストです。
帽子必須 稜線に上がると直射日光が強烈に降り注ぎます。千畳敷カールはすでに森林限界を超えます。日よけ用のつばが広く軽いものをお奨めします。寒さが厳しいときは、耳を覆うニット製、冬山ではフルフェイスタイプをお奨めします。
日焼け止め必須 木曽駒ヶ岳は標高2,956mのため、 稜線では日光を遮る木々が一切ありません。森林限界を超えると紫外線が強いので必帯です。
飲料水必須 天気の良い日は少し多めに持って行きましょう。
駒ヶ岳頂上山荘の水場は6月末まで雪渓から水が取れます。それ以降は小屋で買うことが出来ます。
登山行程に合わせて水の量を調整するとよいでしょう。
ヘッドランプ必須 夜になると電気を落としてしまう山小屋もあります。そんな時トイレに行くのが不自由です。また、暗い内から山頂まで登り、御来光を拝むためにも必要です。
行動食必須 登山のコースタイムが短いのでお好みで持っていくと良いでしょう。パン・ナッツ類・野菜ジュース、飲むヨーグルトなど立ち休憩で食べられるものがお薦めです。
パックカバー必須 ザックが濡れないようにするためのザックカバーは雨に日には絶対必要です。ザックカバーも雨衣と同様に防水性が衰えてきます。時折、防水スプレーをするなどのメンテナンスが必要です。
救急薬品必須 切り傷、擦り傷にカットバン、絆創膏を持っていくと良いでしょう。虫刺され薬品も。
ティッシュペーパー必須 止血用などの万が一の時のために必帯です。ポケットティッシュを水で濡らし耳栓として使う場合にも有効です。
防寒着必須 薄手のフリース,セーター、軽いダウンジャケット。
木曽駒ヶ岳山頂では、7~8月でも最低気温が6度近くまで下がることがあります。
軽くて保温性の高いものを選びます。ゴアテックスのレインウェアを
その上に着ると更に保温性が高まります。
手袋あったら良い 革製の手袋がベストですが、軍手でもOKです。
耳栓あったら良い 木曽駒ヶ岳の山小屋では大部屋が基本です。就寝時に いびきをかく人が必ずいます。耳栓の効果は絶大です。
カメラあったら良い 大パノラマや高山植物が豊富なので山旅の思い出にぜひどうぞ。ウエストポーチに収納出来る大きさであることが望ましいです。
ビニール袋あったら良い ごみ入れとして、使用前の下着入れ、使用後の下着入れとして3~4個あると便利です。
保険証(コピー)あったら良い 事故や遭難時に必要です。
サブザックあったら良い 乗越浄土にザックを置いて、サブザックで身軽な状態で登ることが出来ます。水、カッパなど必要最低限が入る軽いコンパクトなものを使用すること。
シュラフカバーあったら良い 遭難時や混雑している山小屋(一つの布団に2人)で役に立ちます。毛布2枚を床に敷きゴアテックス製のシュラフカバーに入ります。

伊那前岳勒銘石に刻まれた坂本天山の四言古詩

伊那前岳の勒銘石に刻まれた坂本天山の四言古詩

木曽駒ヶ岳検分登山の際、坂本天山が即興で詠んだ四言古詩『霊育神駿(霊神駿を育つ) 高逼天門(高く天門に迫り) 長鎮封城(長く封域を鎮む) 維獄以尊(維獄以て尊し)』が、伊那前岳の稜線に広く分布する閃緑斑岩「勒銘石」に石工に命じて刻ませたものが残ってます。現在は、風雨に曝され判読出来ないレベルまで風化しています。

詩の意味は 「木曽駒ヶ岳の霊気が、神の乗る駿を育て、霊峰の頂は高く聳え、永久に我郷土・伊那谷の平和の礎となっている。何と気高く尊い山ではないか。」

そして、1931年(昭和6年)、勒銘石の傍らに伊那の住民らによって、天山の子孫・海軍中将阪本俊篤(坂口三郎主宰の上官)の書による副碑が建てられました。

江戸時代、山林資源や耕地の拡大を巡って隣接する藩同士のいざこざが各地で起こっていました。(白馬岳周辺では、松本藩と加賀藩による境界争いなど。)そこで、山頂周辺での領地を明確に確定する意味も含めて、絵地図の作成が不可欠になってきたようです。

木曽駒ヶ岳においては高遠藩と尾張徳川家による山頂周辺での境界争いがありました。尾張徳川家が検分登山を行ったことに対抗し、高遠藩でも3回の検分登山が行われています。坂本天山は、1784年(天明4年)、3回目の検分登山を行った時の郡代です。

天山は、幼少の頃から仰ぎ見ていた中央アルプスの頂をいつの日かきわめたいと考えていたと言います。藩士らの士気を高める狙いもあって100名近くを引き連れて登ったといいます 。その時の詳細が「登駒ヶ嶽記」に残されています。

中箕輪尋常高等小学校の大量遭難

西暦1913年(大正2年)8月26日、現在の箕輪町箕輪中学の前身、中箕輪尋常高等小学校高等科2年生男子25名、赤羽高長と教諭2名、卒業生の9名の合計37名が桂小場ルートで木曽駒ヶ岳に卒業登山をしました。

中岳と宝剣岳の間にあった伊那小屋に宿泊する予定でしたが、崩壊して使用出来る状態ではありませんでした。近くのハイマツなどを切り、雨露を凌ぐような簡易の屋根を作ったのですが、運悪く台風による暴風雨に遭遇します。

翌朝27日に生徒1人が死亡し、下山途中疲労などで次々と9人の生徒が死亡、赤羽長重校長も将棊頭山近くで倒れているのを発見されます。

この11人死亡の遭難事件をモデルに、諏訪市出身の作家、新田次郎が感動的小説「聖職の碑(いしぶみ)」を書いています。

この遭難事件を機に、地元伊那市の住民たちが山小屋を建設することを決意します。2年後、現在の西駒山荘が頑強な石室作りで建築されます。登山者の増加に伴い増築され、2014年8月1日に建て替え工事が完了し、リニューアルオープンしています。

木曽駒ヶ岳開山の歴史

木曽駒ヶ岳周辺には極楽平、賽の河原、地獄谷、行者岩など修験道にまつわる地名が残っています。中世以前の歴史ははっきりしませんが、室町時代には修験者を先達として集団登拝が行われていたようです。

江戸時代になると木曽駒ヶ岳は木曽谷側が尾張徳川家、伊那側は高遠藩の領地となり、各藩による検分登山が行われました。そして、江戸時代後期になると講を作って信仰登山者が増えた様です。

木曽側からの開山

木曽上松町から登る「植松 A コース」の登山口周辺や9合目付近には多くの霊神碑や行者の像が建立され、修験道が盛んだった当時の面影を今に残しています。登山口近くでは「敬神ノ滝」で身を清めているかつての登拝者達の姿が目に浮かびます。

木曽側山頂の駒ヶ嶽神社奥社は、戦国時代の西暦1532年(天文元年)に、木曽の徳原長太夫春安が、五穀をつかさどる保食大神(うけもちのおおかみ)/倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を勧請し、奥院として創健したのが始まりとされています。

木曽郡上松町徳原には里宮が建ち、5月3日の例祭と6月15日の山開きの日に大々神楽 (だいだいかぐら)が奉納されています。開山式では「四神五返拝」「通常津賀井舞」そして修験道の姿を伝える「三剣舞」の計三座のみですが、5月3日の例祭では一日がかりで全13座が奉納されます。この大々神楽は、「一子相伝」で伝えられる奥義で、国の重要民俗資料となっています。

江戸時代前期の西暦1664年(寛文4年)、尾張徳川家による見分登山、西暦1719年(享保4年)、山村家による山絵図作成のための調査登山が行われています。

信仰登山としては江戸時代後期の西暦1811年(文化8年6月)、下諏訪の行者寂本(じゃくほん)により宝剣岳山頂に鉄の錫杖が奉納されています。

駒ヶ嶽神社里宮木曽郡上松町徳原

駒ヶ嶽神社里宮拝殿
駒ヶ嶽神社里宮拝殿

間口6間、奥行き5間で流造板葺の拝殿内に神楽舞台があります。祭神は保食命で、木曽駒ヶ岳山頂に本社が鎮座しています。社宝はヒチリの笛・ホフル瓦の古硯・神鏡三面など。

駒ヶ嶽神社は衣食住及び農業・養蚕・畜産業などの守護神であり、これらに関わる人々の信仰を集めてきました。現在でもこれらに関連の深い石碑も多く見られます。

明治の社殿の再建、多くの講社組織を作った功績は、幕末から明治にかけての神主・徳原讃岐一学と、尾張犬山の心明行者です。

  • 住所:長野県木曽郡上松町大字小川・徳原字古宮
  • アクセス:JR中央本線上松駅からタクシーで約10分 公共交通機関はありません。神社は小高い丘の上にあり、タクシーを降りてからも約10分(500メートル)歩く必要があります。
  • 駐車場:全くないため、周辺の道路に路上駐車します。
  • 例祭:5月3日、木曽駒ヶ岳開山式:6月第3日曜日
駒ヶ嶽神社里宮本殿
駒ヶ嶽神社里宮本殿

本殿において大々神楽奉納前の神事が執り行われているところです。里宮は、神明造、板葺きの間口8尺、奥行き6尺5寸で千木は先を垂直に切っています。

木曽駒ヶ岳に登った講の人々の霊神碑が多数祀られています。木曽駒ヶ岳を開山した寂本行者は、諏訪地方の平野村(現岡谷市)出身で、江戸時代の西暦1811年(文化8年)に宝剣岳山頂に錫杖(しゃくじょう)を奉献したことが記録に残っています。

駒ヶ嶽神社の大々神楽

駒ヶ嶽神社の大々神楽奉納 第七座 四神五辺拝
駒ヶ嶽神社の大々神楽奉納 第七座 四神五辺拝

例年、例祭の5月3日の9時から夕方まで全部で13座が拝殿の舞台で奉納されます。駒ヶ嶽神社の大々神楽は、氏子の中の定められた農家の長男に一子相伝形式で申し送ることが古くからの慣わしでしたが、現在は少子化、核家族化に伴い次男や三男が舞うこともしばしば見られます。

問答で舞うのと、奏楽に合わせて舞う2種類があります。写真の「四神五辺拝」や第十二座の「三剣舞」などは勇壮な舞として最大の見所です。この二つの舞は午後12時以降になります。

大々神楽の一部の演目になりますが、6月第3日曜日の木曽駒ヶ岳開山式にも奉納されます。

昭和54年に国の無形民俗文化財に指定され、長野県の指定無形文化財でもあります。

伊那側からの開山

江戸時代前期の僧であり仏師でもあった木食但唱上人が駒ヶ岳山中に籠り修行したこと、西暦1710年(宝永7年)小出村(現在の伊那市)の農民が濃ヶ池で雨乞いをした記録なのが残っています。

江戸時代高遠藩では3回の検分登山を行っています。山林資源の開発で木曽側の尾張徳川家との境界争いが起こるようになります。そのため絵地図の作成や利用が盛んになったためです。

1回目は西暦1736年(元文元年)、高遠藩郡代の安藤太郎兵衛政陽らの一行が、見分のために小出村から権現山・将棊頭山を辿り山頂に登っています。頂上付近に岩鳥(雷鳥)が沢山いたこと、岩鹿(カモシカ)などを観察したことが「駒ヶ嶽一覧之記」に詳しく記載されています。

2回目は西暦1756年(宝暦6年)、高遠藩郡代の阪本運四郎英臣らの一行が、宮田村から大田切川を遡上し、権現山経由で尾根筋を登り山頂に立っています。歩数で距離を測るなどして絵地図を作成。「騒ぐと山が荒れる」という言い伝えがある尺丈ヶ岳(宝剣岳)の岩に向けて鉄砲を放ってみたり、「毒水」と言われていた濃ヶ池の水を飲んでみたりしたが、何も起こらなかったと「後駒ヶ嶽一覧之記」に記載しています。

3回目は西暦1784年(天明4年)高遠藩郡代の阪本孫八俊やす(天山)等の一行が、宮田村から検分登山を行っています。天山は伊那前岳の稜線で即興で四言古詩『霊育神駿 高逼天門 長鎮封城 維獄己尊』を詠み、勒銘石に刻んだことが「登駒ヶ嶽記」に記されています。

参照文献;名山の文化史 上松町誌

駒ヶ嶽神社里宮 (伊那市荒井内の萱)

伊那市荒井内の萱の駒ヶ嶽神社里宮
伊那市荒井内の萱の駒ヶ嶽神社里宮

今からおよそ1300年前、修験道の開祖といわれる役小角が宗派確立に向けた最後の修行の場として西駒ヶ岳(木曽駒ヶ岳)を選び東山道を通って小黒川沿いに遡上し駒ヶ岳に登山しました。

途中立ち寄った小さな部落・荒井内の萱の里人達にお世話になったお礼と一握りの蕎麦の種を手渡されたのです。荒井内の萱の里人達は役行者からもらった一握りの蕎麦の種を大事に育て「行者蕎麦」と呼んでおりました。やがて信濃国を山岳信仰の広がりと共に各地に霊山が開かれ、信仰の場となりました。

戸隠等をはじめ霊山の麓の人々にこの荒井内の萱で収穫された「行者蕎麦」の種が行者たちの手によって運ばれ信濃国全域に広がっていったのです。それが今、「信州そば」と言われ、全国的に有名な蕎麦と発展したのです。

もとより史実とは言い難いですが、上記の様な役行者にまつわる伝説が残る駒ヶ嶽神社里宮です。