- 1. 村山浅間神社から村山古道で富士宮口六合目ルート地図
- 2. 村山浅間神社から村山古道で富士宮口六合目ルートの難易度
- 3. 村山浅間神社から村山古道で富士宮口六合目ルートの体力
- 4. コースタイム
- 5. 村山浅間神社のアクセス
- 6. 村山浅間神社から村山古道で富士宮口六合目ルート
- 6.1. 村山浅間神社
- 6.2. 六道坂
- 6.3. 村山古道
- 6.4. 六道坂の舗装道路
- 6.5. 馬頭観世音
- 6.6. 林道から登山道へ
- 6.7. ヒノキの植林地
- 6.8. 富士裾野林道を横断
- 6.9. 溝状の登山道
- 6.10. 歩きやすいと登山道
- 6.11. ルート判断が難しい
- 6.12. 北井久保林道
- 6.13. 札打場
- 6.14. 複数の作業道が交差
- 6.15. 富士山麓線に出る
- 6.16. 天照教社奥之院参道
- 6.17. 天照教社奥之院
- 6.18. 天照教富士山本社の本殿と社務所
- 6.19. 天照教富士山本社のトイレ
- 6.20. 村山古道入口
- 6.21. ヒノキの植林地の窪地
- 6.22. 樹相が落葉広葉樹と変わる
- 6.23. 吉原林道
- 6.24. 吉原林道から少しの区間歩きやすい道
- 6.25. ルートが分りにくい場所
- 6.26. 吊橋
- 6.27. どん詰まり
- 6.28. 緑陰広場
- 6.29. 富士山麓山の村
- 6.30. 富士山麓山の村の水道
- 6.31. 富士山麓山の村の自動販売機
- 6.32. 富士山麓山の村の公衆トイレ
- 6.33. 日沢を渡る
- 6.34. 二つ目の馬頭観世音
- 6.35. 京都聖護院門跡の修験者達
- 6.36. 大淵林道
- 6.37. 檜の植林の中に V 字状に刻まれた登山道
- 6.38. 中宮馬返し 中宮八幡堂跡
- 6.39. 富士山中宮八幡堂
- 6.40. 水神の祠と八大竜王の石造物
- 6.41. 「釼王子・牛ヶ王子」又は「女人堂」跡
- 6.42. 富士山スカイライン7.8kmポスト
- 6.43. 苔が覆った岩庭
- 6.44. やや滑りやすい苔の斜面
- 6.45. 富士山スカイライン10.8kmポスト
- 6.46. スズタケとブナの巨木
- 6.47. 富士山自然休養林歩道のガラン沢・高鉢コース分岐
- 6.48. 矢立・新小屋跡
- 6.49. 岩屋不動跡分岐
- 6.50. 瀧本・笹垢離跡
- 6.51. 首が切られた不動明王像
- 6.52. 大規模な倒木帯
- 6.53. このルートの唯一の展望地
- 6.54. 横渡
- 6.55. 針葉樹林帯の急坂
- 6.56. 台風でモミの木が広範囲に倒れる
- 6.57. 倒木帯を通過
- 6.58. 一ノ木小屋跡
- 6.59. 登山手形を改めた一ノ木小屋
- 6.60. 宝永遊歩道分岐
- 6.61. ダケカンバ帯を登る
- 6.62. 森林限界を超えハイマツ帯へ
- 6.63. 宝永山荘と雲海荘
- 6.64. 富士宮口6合目の雲海荘手前に出る
- 7. 富士山の他の登山ルート
村山浅間神社から村山古道で富士宮口六合目ルート地図
- 距離28.2km
- 登り2,005m
- 下り2,002m
村山浅間神社から村山古道で富士宮口六合目ルートの難易度
難易度 1/10
ルート | 村山浅間神社(標高500)⇒天照教社(標高1,000m)⇒富士山麓山の村(標高1,080m)⇒ 中宮八幡堂(標高1,275m)⇒瀧本不動・笹垢離小屋跡(標高1,860m)⇒ 一ノ木戸小屋跡(標高2,230m)⇒富士宮口六合目(標高2,490m) |
村山浅間神社から村山古道で富士宮口六合目ルートの体力
体力 8/10 日帰り
飲料水必要量 | 5Kgの荷物を背負う場合 体重45kgの人:1.47リットル、体重60kgの人:1.96ットル、体重75kgの人:2.35リットル |
消費カロリー | 5Kgの荷物を背負う場合 体重45kgの人:2.678Kcal、体重60kgの人:3.480Kcal、体重75kgの人:4.275Kcal |
燃焼脂肪量 | 5Kgの荷物を背負う場合のダイエット効果 体重45kgの人:0.386kg、体重60kgの人:0.501kg、体重75kgの人:0.616kg |
コースタイム
- 登山:村山浅間神社⇒富士宮口六合目 7時間50分
- 下山:富士宮口六合目⇒村山浅間神社 6時間10分
- 富士山の登山トレッキングツアー
- 富士山の登山地図(昭文社)Amazonで見る
- 富士山の登山地図(昭文社)楽天で見る
村山浅間神社のアクセス
JR身延線富士宮駅バス亭の4番乗り場で粟倉万野線に乗車、万野団地入口バス停で下車(約9分・運賃270円)、バス停から徒歩約1時間。富士急静岡バス
村山浅間神社から村山古道で富士宮口六合目ルート
村山浅間神社
標高500m地点に建つ村山浅間神社は、14世紀には富士修験の中枢であった場所と考えられています。「本朝世紀」によると、久安年中(1145年から1150年)に、富士修験の成立に深く関わった末代上人は数百回と富士山に登り、富士山頂に大日寺を建てたとされています。その流れを汲む人々による村山修験の本拠地ということが出来ます。
村山浅間神社については下記を参照してください。
六道坂
村山浅間神社の西側に舗装道路が富士山に向かって走っています。この道を六道坂と言い、かつてこの地に大木戸が建てられ道者から山役銭を取って、登山手形を発行した場所です。そして、舗装道路の右手に「富士山表口真面之図」を写した案内板(登山道の案内)と「富士山」と刻まれた石碑が置かれています。
村山古道
六道坂横の駐車場から村山古道が始まります。「村山口」と刻まれた石碑の建つ登山口には、綺麗に並べられた石畳の道が伸びています。この石畳は、富士宮市立富士根北中学校や富士山完登プロジェクトのメンバーらによって手作業で石を敷いた「石畳一石運動」によるものです。
六道坂の舗装道路
石畳の道は約200mで終わり、再び六道坂の舗装道路に出ます。少しの区間、民家の中の舗装道路を歩き、再び、石畳の道を抜けて行きます。
馬頭観世音
民家が無くなり、植林地に入ると鎖で車止めがされた左手に高さ50cmほどの「馬頭観世音」が置かれています。「昭和8年 上原信郎建立」と読み取れます。明治元年の神仏分離令により登山者はほとんどいなくなりましたが、明治中期から木材搬出の木馬道が作られ、馬の供養のために建てられた様です。
林道から登山道へ
馬頭観世音から200メートル程林道を進むと登山道となります。藪っぽい草地の中を登って行きます。
ヒノキの植林地
送電線の下を通り抜け、ヒノキの植林地に入って行きます。溝状に浸食された登山道にヒノキが倒れ込み、その下をくぐり抜けていかなければなりません。雪解け水や大雨によって浸食されたもので、この先こういった場所が随所に出てきます。
富士裾野林道を横断
標高750メートル地点の舗装された富士裾野林道を横断します。標高1000mより上は国有林、下は民有林となっています。現在、民有林にはヒノキやスギが植林され全く展望がありませんが、「草山三里」と呼ばれた江戸時代までは遠く駿河湾や南アルプスが望めたと言います。
溝状の登山道
侵食され深くえぐられた溝状の登山道を登ります。
歩きやすいと登山道
少し歩きやすいと登山道になりますが、この先から非常に分りにくい道となります。
ルート判断が難しい
侵食され深くえぐられた溝状の中を進みます。侵食がきつい所で左側に登山道が付け替えられています。誘導するピンクのリボンがありますが、付け替えられる前のリボンも残っているため、正しいルートの判断が難しい所です。特に下山時に村山古道を使用する場合には更に分りにくくなります。
北井久保林道
ルートファインディングの難しい溝状の道を過ぎ、東側に90°折れ、植林地内の明瞭な道を真直ぐに進むと舗装された北井久保林道に出ます。
札打場
北井久保林道から程なくして標高840m地点の村山修験の最初の遺跡である札打場に着きます。幹回り約3.5mのケヤキの大木にしめ縄がされ木札が掛かっています。かつて、入峰する修験者が札打ちしましたが、現在では地元の中学生が集団登山の際、入学祈願を書いた札が吊るされていました。
複数の作業道が交差
札打場を過ぎると比較的明瞭な登山道となりますが、明るい植林地内に入ると、数多くの植林のための作業道が交差し、登山道との区別に神経を使います。特に、下山時には作業道に誘導されやすいので要注意です。
富士山麓線に出る
標高1000m地点を東西に走る富士山麓線の鋪装道路に出ます。車道を右手に50mほど進んだ所が村山古道入口です。
天照教社奥之院参道
村山古道入口の左脇から天照教社奥之院参道が200mほど伸びています。
天照教社奥之院
天照教社奥之院。写真には写っていませんが、背後に富士山が聳え、まさに遥拝する場所にあります。
天照教富士山本社の本殿と社務所
天照教富士山本社の本殿(正面)と社務所(左手)。江戸桜田門外で井伊直弼が水戸浪士によって殺害される桜田事変に関係した徳田寛豊が、1879年(明治12年)、伊勢神宮から分霊して開いたものです。
天照教富士山本社のトイレ
天照教富士山本社のトイレ。お世辞にも綺麗とは言えませんが、無料です。
村山古道入口
天照教富士山本社の境内から富士山麓線の村山古道入口に戻ります。左手の鎖は、天照教奥之院へ進む山道です。その右手から森の中に入って行きます。
ヒノキの植林地の窪地
ヒノキの植林地の窪地の中を進みます。所々に倒木があり、その下をくぐり抜けていきます。
樹相が落葉広葉樹と変わる
薄暗い植林地から樹相が落葉広葉樹と変わり、日が差し込み傾斜のなだらかな心地よい森になってきます。
吉原林道
吉原林道へ出ました。林道を10mほど右に進み、登山道を進むと深い溝状の道へと変わります。ちなみに左手には浄水施設があります。
吉原林道から少しの区間歩きやすい道
吉原林道から少しの区間歩きやすい道ですが、すぐに深い溝状の道へと変わります。
ルートが分りにくい場所
深い溝状の道となり、つり橋の下をくぐった先でどん詰まりとなります。現在の正しいルートは、つり橋の左手側に上がり、そこから溝の左手側を進むようになっています。ここが分りにくい場所です。このつり橋は富士山麓山の村の管理棟と生活棟を結ぶ連絡路です。
吊橋
吊橋の左手側に上がった所です。左手側にピンクリボンが架けられているのが見えるはずです。ただしこのルートは、最近になって付け替えられたルートで、リボンが付けられていますが踏み跡が薄く、正規のルートなのか疑わしくなってしまうはずです。
どん詰まり
つり橋をくぐり溝状の道を少し進んだ所でどん詰まりとなります。溝を右手側からよじ登って進むことが出来ますが、この場所はやや危険なため、つり橋の所でルートが付け替えられました。
緑陰広場
ブナやシナノキなどが美しい緑陰広場に出ます。この左手に富士山麓山の村管理棟があり、水の補給やトイレを使用することが出来ます。登山道は、ベンチやテーブルのある右手側を少し進み、溝状の沢(日沢)を渡って右手側に進みます。
富士山麓山の村
富士山麓山の村管理棟。静岡県が運営する自然体験を学習する教育施設で、管理棟の他、緑陰広場の右手側(東側)にはロッジ風の生活棟があります。
富士山麓山の村の水道
富士山麓山の村の水道。登山者も無料で使用する事が出来ます。
富士山麓山の村の自動販売機
富士山麓山の村の営業期間中(4月1日~10月31日)には自動販売機が稼働しています。
富士山麓山の村の公衆トイレ
富士山麓山の村の公衆トイレ。管理棟の職員に一声掛けて水洗トイレを使用しでください。
日沢を渡る
富士山麓山の村の管理棟から緑陰広場に戻り、浅い涸沢(日沢)を渡って登山道へ入ります。
二つ目の馬頭観世音
標高1135m地点の二つ目の馬頭観世音です。裏には「世話人木伏藤作 昭和三年十月」と刻印されています。この辺りは平坦な道がしばらく続き、ブナ、ミズナラなどの落葉広葉樹の林が広がり、木々の間から差し込む木漏れ日が心を和ませてくれます。
京都聖護院門跡の修験者達
村山浅間神社(富士山興法寺)と深い繋がりがある京都聖護院門跡の修験者達が、ほら貝を吹きながら山頂を目指して登っていました。かつて隆盛を誇った富士修験の息吹を感じる一瞬です。
大淵林道
大淵林道に出合います。砂利道を左手方向に約1km 進むと西臼塚駐車場です。
檜の植林の中に V 字状に刻まれた登山道
大淵林道から日沢を渡って、檜の植林の中に V 字状に刻まれた登山道を進みます。
中宮馬返し 中宮八幡堂跡
大淵林道から約20分登った開けた場所にある中宮八幡堂跡。明治時代の終わり頃まで茅葺き屋根の社屋、馬立小屋、金剛杖小屋などが存在していましたが、村山修験の衰微により倒壊してしまいました。又、この場所は「中宮馬返し」とも呼ばれ、ここより先は馬で登ることを許されませんでした。
富士山中宮八幡堂
富士山中宮八幡堂は、天文年中(1400年代)今川氏輝によって創建され、八幡大菩薩( 応仁天皇)を祭神として祀っています。「太郎坊権現 妙法蓮華教」と刻まれた石塔一対があり、現在の祠は、1997年(平成9年)に篤志家の協力で、創建されたものです。毎年、10月の第4日曜日に村山浅間神社の宮司さんに来てもらい祭典を行っています。
水神の祠と八大竜王の石造物
中宮八幡堂東側から踏み跡が伸びています。日沢を30m上流に登った左岸に水神の祠と八大竜王と刻まれた石造物があります。
「釼王子・牛ヶ王子」又は「女人堂」跡
中宮八幡堂から日沢を渡り、200mほど進んだ所にある「釼王子・牛ヶ王子」又は「女人堂」跡と考えられます。女性にとって女人禁制であった富士登山の最終地点で、ここで寝泊まりしたり遥拝したものと考えられています。
富士山スカイライン7.8kmポスト
標高1350メートル地点の富士山スカイライン7.8kmポスト付近に出ます。ここを横断し、林床にスズタケの茂るコメツガ林に入ります。この辺りは富士山スカイラインの周遊道路区間(通称・横道)で、マイカー規制期間中でも自由に通行することが出来ます。
苔が覆った岩庭
登るにつれ林床をびっしりと苔が覆った岩庭となります。
やや滑りやすい苔の斜面
やや滑りやすい苔の斜面を登ると富士山スカイラインの10.8kmポスト付近に出ます。
富士山スカイライン10.8kmポスト
10.8kmポスト近くを横断します。この辺りは富士山スカイラインの山岳道路区間(通称・縦道)で、マイカー規制期間中は、旧料金所ゲートから進入が出来なくなっています。
スズタケとブナの巨木
林床にはスズタケが密生して生え、ブナの巨木が混じる緩斜面を登ります。
富士山自然休養林歩道のガラン沢・高鉢コース分岐
静岡森林管理署が巡視路として整備した富士山自然休養林歩道のガラン沢・高鉢コースと交差します。左手に進めば15分ほどで高鉢駐車場です。
矢立・新小屋跡
ガラン沢・高鉢コース分岐から2分ほど登った右手に「矢立・新小屋跡」と思われる平坦地があります。瀬戸物製の茶碗のかけらや炭、針金などが発見されたことから、作業小屋として戦後の一時期に作られたものと考えられます。
岩屋不動跡分岐
日沢沿いの左岸を登り、右手に岩屋不動跡への道が分岐します。
瀧本・笹垢離跡
標高1860メートル地点の瀧本・笹垢離跡と思われる広さ50平方メートルほどの平坦地に飛び出します。そこには4体の石造物が置かれています。一番右端には首の無い地蔵、その左に不動明王像、首の代わりに石が置かれた地蔵、左端には首が復元された地蔵です。これらの所作は、明治元年に発布された神仏分離令に伴う廃仏毀釈によるものです。
首が切られた不動明王像
右から二番目の不動明王像は、文化7年(1810年)建立とあります。しかし、無残にも首の部が袈裟懸けでスパッと切られ、それを後世になって接着剤でつなぎ合わされています。明治7年(1774年)7月26日、静岡県の役人・宮司・神官・土木作業員などによって登山道に置かれていた仏像の首をはねたり、麓に降ろされたりしました。
大規模な倒木帯
大規模な倒木帯が広がっています。特に1996年(平成8年)9月の台風17号により甚大な被害を受けた所です。
このルートの唯一の展望地
更に上部の倒木帯では、更にその規模を増し、このルートの唯一の展望地を造り出しています。晴れていれば富士山頂部が見えるはずです。辺り一面にヒヨドリソウが白い花を付ています。
横渡
登山道は、日沢に近づき、その左岸を登るようになります。そして、この少し上で東側から西へ日沢を渡る地点が「横渡」と呼ばれる場所です。
針葉樹林帯の急坂
横渡で日沢の右岸に出ると針葉樹林帯の急坂になります。登山道を示すピンクテープも豊富にあり、ルートを外す心配はありません。
台風でモミの木が広範囲に倒れる
モミの木が広範囲に倒れています。1996年9月の台風17号によるものと2005年8月の台風11号による倒木です。
倒木帯を通過
倒木の下をくぐり抜けたり、倒木の上を跨いだりしながら通過していきます。大きなザックを背負っていれば引っかかりそうです。
一ノ木小屋跡
標高2230メートル地点の一ノ木小屋跡。石段の左手上に壊れた鉄のヤカンが置かれています。「室大日堂・木戸室・茶屋室」などと呼ばれていた場所で、中宮八幡堂と並ぶ規模の建物跡です。
登山手形を改めた一ノ木小屋
この場所で登山手形を改めたという一ノ木小屋は、広さ200平方メートルほどの人工の広場で、敷地内には石組が残っています。室大日堂には修験道の開祖とされる役行者と大日如来像が祀られていたといいます。又、富士山頂に大日寺を建てた末代上人は、この場所に往生寺を建てたとも言わています。
宝永遊歩道分岐
宝永遊歩道分岐。左手方向に進めば10分ほどで富士山スカイラインの富士宮口5合目の旋回道路に出ます。右手に進めば宝永第二火口縁に至ります。宝永遊歩道に沿ってロープが張られて村山古道に間違って進入しないようになっています。村山古道を下山する人のために村山古道下山口の案内表示がなされています。
ダケカンバ帯を登る
ダケカンバ帯を登ります。
森林限界を超えハイマツ帯へ
ダケカンバ帯を抜けると森林限界を超え、ハイマツ帯になります。赤札やペンキマークなどはほとんど無く、踏み跡を辿ることになります。下山時にはルートがやや分りにくい所です。
宝永山荘と雲海荘
宝永山荘と雲海荘の建物が見えて来ました。登山道は、雲海荘の左手側に飛び出すように付いています。
富士宮口6合目の雲海荘手前に出る
雲海荘の手前に出ました。写真で示すように富士宮口5合目から雲海荘にかけての登山道にはロープが張られて道間違いを防ぐようになっています。しかし、村山古道下山口を示す道標はどこにもありません。下山口が分らない場合には雲海荘のスタッフに尋ねてください。ここより山頂へは富士宮口ルートをご覧ください。