「富岳百景」を執筆した天下茶屋
天下茶屋
太宰治は天下茶屋の2階の手前角部屋に昭和13年9月から11月までの約3ヶ月間滞在し、「富岳百景」を執筆しました。
天下茶屋前を走る車道は、旧国道8号線(元県道河口湖御坂線)で、全長396m 、幅員6m、高さ4メートルの御坂隧道(御坂トンネル)が御坂峠の真下を貫いています。そしてこのトンネルは登録有形文化財に指定されています。トンネル内はやや狭いですが、その先は二車線で車の通行に全く支障ありません。
天下茶屋の営業時間は9時~日没まで、年中無休で悪天候時は閉店することもあります。 TEL:0555-76-6659。
2階の太宰治天下茶屋記念館
2階の太宰治天下茶屋記念館は、天下茶屋で少しの買い物や食事などをすれば、無料で拝観出来ます。館内には、「富嶽百景」「斜陽」「人間失格」などの初版本、「太宰治」「斜陽館」などのパネルがあります。又、 窓際に太宰治が使用した「火鉢」「机と水瓶」が置かれています。
太宰治が滞在したのは写真の左手奥の角部屋で、窓からは富士山と河口湖がよく見えます。
太宰治の短編小説「富嶽百景」の中に、井伏鱒二がこの天下茶屋で仕事をしているのを知り、太宰治はこの場所を訪れ、2人で三ッ峠山に登った様子が描かれています。
井伏鱒二と太宰治との関係は、太宰治が昭和5年、東京大学(東京帝国大学)に入学後初めて出会います。上京後、金銭感覚のなかった太宰治の面倒を見たのは井伏鱒二です。昭和11年太宰が27歳の時に精神病院に入院する段取り、その翌年には小山初代との離婚の後始末、そしてその翌年天下茶屋の滞在のための計らいなどを行っています。
天下茶屋での滞在は、心中未遂の過去を引きずり、酒や薬物におぼれた太宰治にとって大きな転換点となりました。その後生活は安定し、充実した執筆活動が出来るようになります。
天下茶屋から富士山の眺望
太宰治が滞在した天下茶屋の二階からの眺望は河口湖の先に雄大な富士山が聳えています。
「富嶽百景」の一節に、「ここから見た富士は、昔から富士三景の一つに数えられているそうであるが、私は、あまり好かなかった。まるで、風呂屋のペンキ絵だ。芝居の書割だ。」とあります。
しかし、茶屋の人々と次第に心を通わせ、富士の景観にも次第に慣れ親しんでいきます。 後半には、「富士には月見草がよく似合う」の一文に現れるように、天下茶屋での生活は過去を断ち切り、再出発する場所になったと言えます。
太宰治の文学碑
太宰治の文学碑は、 天下茶屋を背にして富士河口湖笛吹線を越えて1分ほど登った高台に富士山を真正面に仰ぎ見るように建っています。昭和28年10月に建てられ、碑文には「富士には月見草がよく似合う」と刻まれています。
6月19日は太宰治の誕生日で、その日にファンが集まって太宰治をしのぶ「山梨桜桃忌」が開催されます。天下茶屋で「富嶽百景」の朗読会を行い、文学碑にお酒をかけたり、菊の花を手向けたりします。