- 1. 燕岳・合戦尾根ルート地図
- 2. 燕岳・合戦尾根ルートの難易度
- 3. 燕岳・合戦尾根ルートの体力
- 4. コースタイム
- 5. 山小屋
- 6. 登山口のアクセス
- 7. 燕岳・合戦尾根ルート
- 7.1. 安曇野市営無料第1、第2駐車場
- 7.2. もう一つの無料駐車場
- 7.3. 中房温泉の日帰り入浴施設「湯原の湯」
- 7.4. 合戦尾根は三大急登
- 7.5. 第一ベンチから約20m下にある水場
- 7.6. 第一ベンチ
- 7.7. 第二ベンチ
- 7.8. 合戦尾根を登る
- 7.9. 左手側は時折展望がある
- 7.10. 第三ベンチ
- 7.11. 富士見ベンチ
- 7.12. 簡単な岩場
- 7.13. あと少しで合戦小屋
- 7.14. 合戦小屋
- 7.15. 燕山荘の荷揚げ用のケーブル
- 7.16. 公衆トイレ
- 7.17. 合戦小屋の上で森林限界を超える
- 7.18. 合戦沢の頭
- 7.19. 槍の穂先が見える
- 7.20. 燕岳の遠景
- 7.21. ナナカマドの葉が散る
- 7.22. 有明山
- 7.23. 合戦尾根の稜線
- 7.24. 燕山荘が見える
- 7.25. 合戦尾根ルート唯一の鎖場
- 7.26. 燕岳から北燕岳への主稜線
- 7.27. 極めて簡単な鎖場
- 7.28. 鎖場を近くから撮影
- 7.29. 鎖場を上から撮影
- 7.30. 燕山荘が近づいて来る
- 7.31. 西洋の建物を連想される山小屋
- 7.32. 稜線の右側をトラバース
- 7.33. 燕山荘から燕岳
- 7.34. 燕山荘から燕岳へ
- 7.35. 花崗岩の岩峰群がハイマツとコントラストを描く
- 7.36. 燕山荘テント場
- 7.37. テント場用トイレ
- 7.38. 燕岳山頂直下
- 7.39. 砂礫の登山道
- 7.40. 燕山荘にザックをデポし山頂までピストン
- 7.41. 燕山荘と表銀座縦走ルート
- 7.42. 階段が整備されて登りやすい
- 7.43. 燕岳山頂
- 7.44. 燕岳山頂から北燕岳
- 7.45. 北燕岳
- 7.46. 東沢乗越分岐
- 7.47. 北燕岳山頂から燕岳
- 8. 合戦小屋地名の由来
- 9. 燕岳の他の登山ルート
燕岳・合戦尾根ルート地図
- 距離10.7km
- 登り1,454m
- 下り1,455 m
燕岳・合戦尾根ルートの難易度
難易度 1/10
ルート | 中房温泉(標高1,450m)⇒合戦小屋(標高2,380m)⇒燕山荘(標高2,680mm)⇒燕岳(標高2,763mm) |
燕岳・合戦尾根ルートの体力
体力 3/10 日帰り
飲料水必要量 | 5Kgの荷物を背負う場合 体重45kgの人:2.10リットル、体重60kgの人:2.70リットル、体重75kgの人:3.33リットル |
消費カロリー | 5Kgの荷物を背負う場合 体重45kgの人:3.600Kcal、体重60kgの人:4.700Kcal、体重75kgの人:5.800Kcal |
燃焼脂肪量 | 5Kgの荷物を背負う場合のダイエット効果 体重45kgの人:0.515g、体重60kgの人:0.672kg、体重75kgの人:0.830kg |
コースタイム
- 登山:中房温泉→燕岳 4時間30分
- 下山:燕岳→中房温泉 3時間10分
山小屋
登山口のアクセス
燕岳・合戦尾根ルート
安曇野市営無料第1、第2駐車場
中房温泉の約200m下にある安曇野市営無料第1、第2駐車場(2ヶ所にあり、全部で120台)。更に、ここから500m ほど下った所の有明荘の脇を入った場所に安曇野市営第3駐車場があります。
もう一つの無料駐車場
中房温泉下のもう一つの無料駐車場。シーズン中は一杯になることが多く、路上駐車の列が長く伸びる。
中房温泉の日帰り入浴施設「湯原の湯」
中房温泉の日帰り入浴施設「湯原の湯」の前から登山道が始まります。ここの正面に公衆トイレがあります。右手に登山ポストが置いてあります。
合戦尾根は三大急登
樹林帯の中の急登りです。ここ合戦尾根は、三大急登の一つとされています。
第一ベンチから約20m下にある水場
第一ベンチから約20m下にある水場。やや細い。この先は、燕山荘まで水場はありませんが、途中合戦小屋には売店があります。
第一ベンチ
第一ベンチ。合戦尾根には30~40分おきに休憩ポイントが設けられています。
第二ベンチ
第二ベンチ。ミズナラ、カラマツなども混成林を登ります。
合戦尾根を登る
合戦尾根を登ります。
左手側は時折展望がある
合戦尾根の登り。左手側は時折木々の間から展望が開けます。
第三ベンチ
第三ベンチ。ここから富士見ベンチの区間が最も傾斜がきつい所です。
富士見ベンチ
富士見ベンチ。木々の間から富士山、南アルプスが見える。
簡単な岩場
合戦小屋の直ぐ下あたりから少しづつ展望が効き出します。
あと少しで合戦小屋
あと少しで合戦小屋です。
合戦小屋
中房温泉から約3時間登った標高2350メートル地点の合戦小屋。トイレ休憩出来ます。宿泊施設はありません。飲料水・行動食・果物が販売され、軽食を取ることも出来ます。特に、波田町下原のスイカとうどんが人気です。
燕山荘の荷揚げ用のケーブル
燕山荘の荷揚げ用のケーブル。中房温泉の少し下の有明荘から物資を運搬しています。
公衆トイレ
公衆トイレが合戦小屋の向かいにあります。葉が落ち実だけとなったナナカマド。
合戦小屋の上で森林限界を超える
合戦小屋からは完全に樹林帯を抜け展望が効いてきます。ここからは緩い登りとなります。
合戦沢の頭
三角点、ベンチのある合戦沢の頭からは常念山脈の稜線上に建つ燕山荘がよく見えます。ここから左手前方に目をやると槍ヶ岳の穂先部分が見えています。
槍の穂先が見える
常念山脈の稜線の先に槍の穂先が見えます。左端は大天井岳です。
燕岳の遠景
燕岳。油絵の様な風景です。燕岳から北燕岳への稜線を写す。ダケカンバが周辺に多くなってくる。
ナナカマドの葉が散る
ナナカマドの葉が散っていますが紅葉の時期は美しいでしょう。
有明山
登って来た所を振り返る。奥には有明山が見えています。
合戦尾根の稜線
合戦尾根のこんなところを登って。この上で常念山脈の奥に槍ヶ岳の頭の部分が姿を現します。
燕山荘が見える
常念山脈の稜線に建つ大型の山小屋燕山荘が近づいて来ました。
合戦尾根ルート唯一の鎖場
目の前には合戦尾根ルート唯一の鎖場があります。
燕岳から北燕岳への主稜線
燕岳から北燕岳への主稜線がまじかに見えてきました。
極めて簡単な鎖場
鎖場。登山者が通過している所に鎖が設置されています。極めて簡単な鎖場で、特に鎖を使って登る必要はありません。
鎖場を近くから撮影
鎖場を近くから撮影。高度感は無く鎖の使用は不必要でしょう。
鎖場を上から撮影
鎖場を上から撮影。傾斜も緩く登山道の幅も十分なので危険ではありません。
燕山荘が近づいて来る
燕山荘がさらに近づいて来ました。ここから比較的緩斜面を上って行くと山小屋に着きます。
西洋の建物を連想される山小屋
燕山荘を望遠で撮影。西洋の建物を連想される小屋です。
稜線の右側をトラバース
あと少しで燕山荘です。稜線の右側をトラバースするように進みます。
燕山荘から燕岳
燕山荘から燕岳を撮影。右手側にテント場が見えています。
燕山荘から燕岳へ
燕山荘から燕岳へ向かいます。山頂までなだらかな登りです。周辺の砂礫地はコマクサの群生地です。燕山荘と山頂間の往復は約50分です。
花崗岩の岩峰群がハイマツとコントラストを描く
燕岳を近くで撮影。花崗岩の岩峰群がハイマツと美しいコントラストを描き出しています。
燕山荘テント場
燕山荘近くにあるテント場。
テント場用トイレ
テント場用トイレ。
燕岳山頂直下
燕岳山頂が近づいてきました。
砂礫の登山道
こんなところを登っていきます。
燕山荘にザックをデポし山頂までピストン
花崗岩の岩稜が大変美しい。燕山荘にザックをデポし山頂までピストンです。
燕山荘と表銀座縦走ルート
燕山荘方面を振り返る。表銀座縦走ルートが右手方向に伸びています。
階段が整備されて登りやすい
階段が整備された登りやすい登山道です。
燕岳山頂
登山者でにぎわう燕岳山頂。
燕岳山頂から北燕岳
燕岳山頂から北燕岳を撮影。北燕岳から先の登山道は東沢乗越からの燕岳のページを参照してください。左奥に立山、その右に針ノ木岳が見えます。
北燕岳
北燕岳。燕岳山頂直下から北燕岳を望遠で撮影。
東沢乗越分岐
北燕岳直下にある東沢乗越への分岐を示す指導標。中房温泉から東沢乗越を経由して登るルートもご覧ください。
北燕岳山頂から燕岳
北燕岳山頂から燕岳を撮影。燕岳から西岳、東鎌尾根を登り槍ヶ岳に至る表銀座縦走ルートも参照してください。
合戦小屋地名の由来
今を遡る桓武天皇の時代に 八面大王と自ら名乗る鬼が中房温泉、有明山に住んでいました。
大きな雲を起し、雨を降らし、天を飛ぶ等、妖術を使おう鬼でした。 里に降りては財宝・婦女を略奪し、山中の社寺仏閣を破壊するなど狼藉ざんまいの所業の数々でした。
坂上田村麻呂が、この鬼を退治しようと何度も試みるも魔力が強く、連続して負けてしまいました。 栗尾山の観音堂に願をかけると、「三十三節の山鳥の尾で作った矢を使えば…」という霊夢を見ました。
甲子の年、甲子の月、甲子の刻に生まれた男 矢村の矢助が、この尾を献上し、ついに中房川上流 の谷間で大合戦の末、鬼を退治しました。 その場所はちょうど合戦の沢、現在の合戦沢でした。
鬼が生き帰ることを防ぐため、五体をバラバラにして埋め、それらの地が耳塚、首塚、立足等の地名として今に残ります。
山鳥の尾を献上した矢村の矢助は、夫を鬼に殺された母に育てられます。母は次の様に言いました。 「命あるもの全て親子、夫婦の関係あり、殺 さばなげくもの必ずあり。」
矢助は一切の殺生をせず成人し、ある時ワナ にかかった山鳥を救い野に放ちました。その年の暮、矢助 は嫁をめとりました。三年後、坂上田村麻呂と出会い、嫁のさし出す山鳥の尾を献上しました。矢助は、 永遠の生活を保証する恩賞を得ることになります。
翌日、嫁は 一通の手紙を書き置いて姿を消します。 「我、三年前に助けられた山鳥、高恩にむく いるべく、かしづくも、もはやその要もなし。 三十三節の尾羽は、我の尾なし。」と…