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甲斐駒ケ岳登山ルート概要
甲斐駒ケ岳は日本百名山の一つに数えられ、全般になだらかな南アルプスの中にあって、数少ない急峻な山容を呈しています。 駒ヶ岳と名が付く山は日本に18座ありますが、標高2970mの甲斐駒ケ岳はその最高峰です。山梨県北杜市と長野県上伊那郡の県境に位置して、赤石山脈(南ア)のほぼ北端にあり、山全体が花崗岩からなっています。
南アルプスにおいて花崗岩は甲斐駒ケ岳から鳳凰三山にかけて分布しています。花崗岩は風化すると小さな粒状になり、雨によって流されてしまいます。そのため甲斐駒ケ岳では高山植物が育ちにくく、北岳、悪沢岳、赤石岳などに見られるような広範囲に渡る高山植物のお花畑を形成することがありません。
JR中央線の「特急あずさ」に乗り甲府盆地を過ぎた辺りで左手方向に鳳凰三山が現れ、その稜線の後方に山頂部だけをのぞかせる北岳が見えてきます。やがて右手方向に八ケ岳が大きくなってくると、左手の車窓から甲斐駒ケ岳が見え始めます。、中央線の日野春・長坂駅辺りから見る姿が最も美しく、摩利支天の岩壁を従えた山容はいっそう峻嶮に見え、登頂意欲を掻き立てられます。これが小淵沢まで来ると摩利支天は見えなくなり、ただの三角形状のピラミッドの様な形となってしまいます。
例年、甲斐駒ケ岳の開山式が北杜市白州町白須の竹宇駒ケ岳神社及び横手駒ケ嶽神社にて7月上旬に催されます。
山梨県北杜市武川村の水車小屋から見た甲斐駒ケ岳
黒戸尾根がアサヨ峰の下部辺りから右手上方に伸び、黒戸山から少し下り、甲斐駒ケ岳山頂に突き上げています。深く浸食された地形は、数多くのバリエーションルートを提供し、尾白川、大武川の渓谷をはじめ、赤石沢奥壁、黄蓮谷などの岩登りのゲレンデとなっています。
日本列島を分断する地溝帯フォッサマグナが甲斐駒ケ岳の北側を走っています。この断層が山麓との標高差2200メートルを超える切り立った地形を作り出しています。山全体が花崗岩で作られ、山に降った雨が花崗岩によってろ過され、麓の白州町の扇状地に湧き出す水が名水として利用されています。国道20号線沿いの「白州道の駅」では無料で名水を汲む事が出来る施設があります。また、サントリー工場で作られる「南アルプスの天然水」は有名です。
長坂池(牛池)と甲斐駒ヶ岳
JR中央本線長坂駅から歩いて10分ほどの所にあります。良質な灌漑用水を確保するすると共に地域住民の憩いの場所として整備された所です。
この辺りから見る甲斐駒ヶ岳が最も美しいのでは無いでしょうか。
山梨県北杜市神田の大イトザクラと甲斐駒ヶ岳
昭和34年、山梨県指定天然記念物。樹齢約400年、エドヒガンザクラの変種で毎年、逸早く春を告げる壮美な桜です。
一部枝が折れてしまったのが残念です。〒408-0042 山梨県北杜市 小淵沢町松向2767
登山コース案内
信仰登山によって開山された甲斐駒ケ岳は、山梨県北杜市白州町に表登山口があり、黒戸尾根のいたるところに霊神碑、石造、剣などが祀られています。
黒戸尾根登山道は急登が続き、特に5合目から7合目にかけて梯子や鎖場が連続する上、標高差2,200mを越えるので、それを敬遠して近年では、北沢峠から登る登山者が多くなっています。
とは言え、変化に富んだスリリングな黒戸尾根はシーズン中の土、日になるとトレイルランナーも含め、数多くの登山者でにぎわう人気コースです。
ピストンする場合にはコースタイムが長い為、途中の七丈小屋で一泊するのが理想的です。七丈小屋は通年営業の山小屋で、テント場も充実しています。
また、黒戸尾根を登り山頂から反対側の北沢峠に下山し、仙丈ケ岳に登るのもよし、もしくは仙水峠へ下り、栗沢山を経由して早川尾根・鳳凰三山へと縦走するコースもお勧めです。
甲斐駒ケ岳への最短のアプローチは北沢峠からで、長野県側、山梨県側からともにバス便があり、長野県側からは戸台口の仙流荘前から北沢峠行きバスが出ています。
山梨県側からは芦安からバスで広河原へ入り、広河原で北沢峠行きバスに乗り換えます。
またJR身延駅からは奈良田を経由するバスで広河原へ入り、広河原で北沢峠行きバスに乗り換える事も可能です。
シーズン期間中の各バスは、登山者の数に応じて臨時バスも増発されています。
北沢峠からのコースタイムは日帰り可能な時間ですが、帰りのバスの時間を考慮すると、北沢峠辺りの山小屋に泊まる必要があり、実質山中一泊の行程となります。
北沢峠からは双児山と仙水峠を経由する2ルートがあり、
おすすめは登山時に甲斐駒ケ岳の眺望が素晴らしい双児山経由ルートです。
しかし、双児山経由ルートには水場がないため多めの水を持って行くことをお勧めします。
駒津峰で両ルートが合流し、稜線を進んだ後、直登りルートと巻き道ルートに分かれます。
登山時は直登りルートで山頂を目指し、下山道として巻き道ルートを使い、途中で摩利支天に立ち寄ると面白いです。そして仙水峠を経由して北沢峠に下山すると、途中の仙水小屋で水の補給が出来ます。
また、北沢峠の山小屋を起点に仙丈ヶ岳と合わせて登山計画を練る登山者が多いようです。
登山届の提出
山梨県側は山梨県警察
長野県は長野県県庁のホームページから電子申請やFAXなどで受付可。
登山地図のスマホアプリ
山と高原地図のスマホアプリが昭文社から販売されています。月額版:料金月400円、通常版:地域1エリア500円。
横手駒ケ嶽神社の大祭
代々神楽奉納
甲斐駒ヶ岳表参道の麓に鎮座する横手駒ケ嶽神社の大祭で奉納される代々神楽で、白州町文化財になっています。年1回4月20日に開催され、地元白州町の舞子保存会による伝統が脈々と受け継がれています。「斎場浄の舞」に始まり「種蒔の舞」まで20の舞が午前9時30分から一日かけて行われます。
横手駒ケ嶽神社は、黒戸尾根から屏風岩の難所を越えて甲斐駒ヶ岳の開山を行った延命行者(小尾権三郎)の修験道の伝統を受け継ぐ由緒ある神社です。
写真は、「剣の舞」が奉納されているところです。修験道の精神を最もよく表している豪快勇壮な舞と言えます。
前宮拝殿
前宮拝殿に氏子、崇敬者、講社などの人々が集まり、代々神楽奉納前に行われる儀式です。拝殿は、昭和48年に屋根を銅板葺に、平成7年に控え室を拡張改修しました。
神楽殿
神楽殿において、神主による儀式が執り行われます。
前宮本殿
拝殿の裏にあります。昭和元年に建設され、平成7年大社作りに改修されました。本殿の裏手には数多くの駒ヶ岳講の霊神碑が建てられています。
甲斐駒ヶ岳西峰には山頂本社、山頂には頂上馬頭観音祠が祀られています。
甲斐駒ケ岳開山の歴史
江戸時代の初期には既に開山されていたようだが、はっきりした事はわからず、明確な資料が残るのは江戸時代後期文化13年(西暦1816年)6月のことです。開山を行ったのは長野県茅野市生まれの修験道の行者である延命行者・鐇弘法印、俗名・小尾権三郎です。
小尾権三郎は、文化10年十八歳の時に、山梨県北杜市白州町横手の名主であった山田家に甲斐駒ケ岳開山の申請を出します。当時、不浄の者が山に入ると洪水など自然災害などが起こると考えられ、修行が不十分な権三郎には入山の許可がおりませんでした。権三郎は、甲斐駒ケ岳を源流とする尾白川渓谷を中心として、日本全国の霊山で修行を積み、3年後の22歳になった時、再び山田家に甲斐駒ケ岳開山の申請をします。山田家では権三郎の修行に多くの支援をしていたようで、山田家の一角の小さな小屋を権三郎の修行部屋として貸していたと言います。
文化13年、権三郎22歳の時に甲斐駒ケ岳開山の許可がおります。そして、権三郎は、甲斐駒ケ岳に入り、開山に挑みます。しばらく経っても権三郎が戻らないので、信州諏訪の実家では心配になり、捜索も行われた様です。入山から3ヶ月経ってヒゲモジャの行者が山から降りてくる姿を見たという言い伝えが山田家に残っています。※権三郎がどのルートを通って開山したかは不明です。
開山に成功した権三郎は、京に上って、「神道神祇管長白河殿」より「駒ケ嶽開闢延命行者五行菩薩」という尊称を賜ることになりますが、開山から3年後に若くして亡くなります。甲斐駒ケ岳の開山の功績を称えて黒戸尾根六合目にある不動岩に「大開山威力大聖不動明王」として祀られたとされています。その後、甲斐駒ケ岳は山岳霊場として信仰登山が盛んになっていきます。
黒戸尾根の登山道には多数の石碑・霊神碑が建立されています。
駒ヶ岳講は江戸時代後期から盛んになり、出発前には精進潔斎を行い白装束に身を包み登拝しました。講のリーダーを先達(せんだつ)と呼び、経験及び知識豊富な人がなったようです。先達が死ぬと魂は山に帰るとされ、霊神碑を山道に建立し、依代として祀ったとされています。
尾白川渓谷近くの竹宇と横手の駒ヶ嶽神社は、山頂を本宮(奥宮)とする前宮(里宮)です。竹宇駒ヶ嶽神社では4月10日から16日の間の日曜日に、横手駒ヶ嶽神社では4月20日に祭典が催され、太々神楽が奉納されます。当日は、多くの氏子、崇敬者、講社などの参拝者で賑わいます。
※竹宇駒ヶ嶽神社と横手駒ヶ嶽神社とは関係がなく、駒ヶ岳講も別々に組織されています。
登山道沿いに立つおびただしい数の霊神碑
※精進潔斎(しょうじんけっさい)-肉・魚の類を口にせず,飲酒・性行為などを避け,おこないを慎むことによって,心身を清浄な状態におくこと。
※講-同一の信仰を持つ人々によるグループである。
※依代(よりしろ)-神霊が降臨する際の媒体となるもの。
小尾権三郎の死の謎
権三郎は25歳という若さで亡くなっています。死の原因は不明ですが、諏訪地方に多くいた御嶽山信仰の道者との間に何かのトラブルを抱えていたのかもしれません。
権三郎は、甲斐駒ケ岳開山後、錫杖の頭や巻物など修験者として必要な9品を山田家に渡すよう権三郎の父、今右衛門に頼みます。このことは権三郎が今後修験者として生きていかない決意を意味しています。
これらの9品は、権三郎の死後13回忌に山田家に届けられています。
彼の出身は長野県茅野市上古田(村岡平)で、諏訪地方における修験道の中心が御嶽山であったことから、甲斐駒ケ岳における修験道を広めるのは容易なことではなかったようです。その辺に死の原因が隠されているかもしれません。
甲斐駒ケ岳に縄文人が登っていた?
昭和になり、山頂に一等三角点を設置する為に工事を行った際、縄文時代の土器が出土します。縄文時代の古墳遺跡が八ケ岳山麓の南東から南西にかけて甲斐駒ケ岳の麓を流れる釜無川との間 に数多く発見されています。その代表的な遺跡が栃原岩陰遺跡、金生遺跡、井戸尻遺跡、阿久遺跡、大深山遺跡などです。
縄文人が甲斐駒ケ岳を崇拝の対象とするばかりではなく、黒戸尾根を実際に登っていたとすれば、ロマン溢れる話です。
長野県富士見町にある井戸尻考古館では縄文遺跡に関する各種展示がなされています。又、動画がYouTube にアップされていますので添付します。
YouTubeで見る
甲斐駒ヶ岳山頂周辺の気温
山頂気温 | 1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
最高気温 | -9.1 |
-7.6 |
-3.3 |
3.4 |
8.1 |
11.1 |
14.3 |
15.8 |
11.5 |
5.7 |
-0.4 |
-6.1 |
平均気温 | -14.8 |
-13.7 |
-9.9 |
-3.7 |
2.1 |
5.5 |
9.0 |
9.7 |
5.8 |
-0.6 |
-7.0 |
-12.1 |
最低気温 | -20.5 |
-19.8 |
-16.0 |
-10.6 |
-4.2 |
0.8 |
4.8 |
5.3 |
1.3 |
-6.0 |
-12.8 |
-17.4 |
甲斐駒ヶ岳へ登るための装備と服装
用具・装備 | 1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
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ツェルト | × |
× |
× |
× |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
× |
× | ストック | △ |
△ |
△ |
△ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
△ |
スパッツ | ○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
× |
× |
× |
× |
× |
× |
○ |
手袋 | ◎ |
◎ |
◎ |
◎ |
◎ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
◎ |
◎ |
サングラス | ◎ |
◎ |
◎ |
◎ |
○ |
△ |
△ |
△ |
○ |
○ |
○ |
◎ |
軽アイゼン | × |
× |
× |
× |
× |
○ |
× |
× |
× |
× |
× |
○ |
12本歯アイゼン | ◎ |
◎ |
◎ |
◎ |
○ |
× |
× |
× |
× |
× |
× |
◎ |
ピッケル | ◎ |
◎ |
◎ |
◎ |
○ |
× |
× |
× |
× |
× |
△ |
◎ |
テント | ◎ |
◎ |
◎ |
◎ |
◎ |
× |
× |
× |
× |
× |
◎ |
◎ |
ヘルメット | ○ |
○ |
× |
× |
× |
× |
× |
× |
× |
× |
× |
○ |
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